次に、
ポーラ美術館開館20周年記念展、
ピカソ 青の時代を超えて
PICASSO
に行った。
「青の時代」(1901-1904年)
ピカソが20歳から23歳の頃に、青を主調色に貧しい人々の姿を描き、
生と死や貧困のテーマの深奥に踏み込んだ時代。
バルセロナとパリを往復しながら生活し、親友カサジェマスの自殺を経て
精神的な苦悩に向き合った。ピカソ自身も困窮していたため、この時期に制作された絵画の多くは、同じカンヴァスに何度も描き直しがなされている。
いうまでもないが、
パブロ・ピカソ(1881-1973年)
スペイン・アンダルシア地方のマラガ生まれ。美術教師の父のもと、
幼少期から早熟な画才を発揮する。
1899年にバルセロナの近代文化の中心であったカフェ「4匹の猫」に通い、気鋭の画家として頭角を現す。1901年以降、青を主調色とした絵画を描く。
1904年以降はパリに移住し、やがてジョルジュ・ブラックとともに「キュビスム」を創始して前衛芸術における主導的な役割を果たす。
絵画、彫刻、版画、舞台装飾において表現の方法を拡張し、1937年に大壁画《ゲルニカ》を発表。第二次世界大戦後は南フランスで陶芸も始め、
晩年まで制作活動を続けた。
「青の時代」の最重要作である《海辺の母子像》
その他にも印象深い同時期の作品を記録しておこう。
新聞とグラスとタバコの箱 1921年
ギターとオレンジの果物鉢
静物
赤い枕で眠る女
このモデルは、ピカソが1927年に出会った女性マリー・テレーズ・ワルテル。
黄色い背景の女
横たわる女
帽子の女
アトリエのモデル
死者の歌 (ピエール・ルヴェルディ著)
ドイツ占領下における
沈黙の歳月の後に
戦争における抵抗、
流された血の記憶が綴られた
詩人ルヴェルディ直筆の手稿に、
ピカソが朱色の記号を付している。
死と絵画の荘厳な結合。
ラ・ガループの海水浴場
映画「ミステリアス・ピカソ天才の秘密」の
最後に登場する作品
カンヌとニースの間、
アンティーブ岬にある海岸
ポーラ美術館、まだ続いて、こちらです。
励みのために、にほんブログ村に参加しています。
INポイントの順位がわかります。
ぽちっと1日1回click応援よろしくお願いします。
↓