今日は広島原爆の日。

 

毎年、8月6日のニュースでは、

 

必ず広島原爆ドームの写真と式典の様子

が報道される。

 

その時、いつも以前に

出張で行った広島のことを思い起こす。

 

アメブロを始める前のことなので、残しておきたい。

 

☆   ☆    ☆

 

初めて行った広島市内を現地ガイドさんとともに散策をした。

まずは、元広島藩別邸の庭縮景園(国指定名勝庭園)へ


園の中央にある跨虹橋(ここうはし)

園の名称は、中国杭州の西湖を模して

縮景したものと伝えられている。

 

園内をぐるっと回遊できるようになっている

(回遊式庭園)で、道なりに歩いた。



          茶室(書院造り)


      殿様が趣味で作った小さな田圃。

 

今はボランティアが継承。

1945年の原爆で壊滅状態になった樹木が、

原爆ドームのほうへ傾いて生き残ったものが1本。


          平和記念公園・平和記念資料館

資料館は、被爆者の遺品や

被爆の惨状を示す写真や資料が展示してあり、

目を覆いながら見た。

 

核兵器のない平和な社会を実現する

願いが込められていた展示だった。


           原爆ドーム(ユネスコ世界遺産)


今は世界の平和のシンボル的存在で、

戦争の悲惨さをリアルに伝えている。



        原爆の子の像
 

       サダコ(原爆の子)

アメリカで、知り合いになったアメリカの中学生は、

 

学校で日本人の先生から習って、平和を祈るため、

 

千羽鶴を毎年、皆でヒロシマの原爆記念日に贈るとのことだった。

その時に「サダコと千羽鶴」

 

(原文:英語 エレノアコア著)の物語を思い出した。

 

日本人の原爆少女の物語をアメリカ人が書いた。

 

著者が日本人でないことにも驚いた。

 

この物語は、今日まで、世界中の子供たちに読み継がれ、

 

その物語に共感を覚えた多くの子供たちによって折られた

 

千羽鶴が、広島に届けられている。

言語、文化、時空を超えて「サダコ」の物語が

人々に受け入れられるのは、

 

それが

 

「生きることへの希望」、

 

「平和への祈り」の物語

 

にほかならないからなのでしょう。

資料館では、病気の回復を願いながら、

 

飴の包み紙などを針で折った

 

小さなツルの折り紙の展示に

 

胸をえぐられた。



16世紀末の広島築城後、

 

江戸時代には広島藩浅野氏の城下町として発展し、

 

明治時代から第二次世界大戦までは

 

軍事拠点として日本有数であった広島市。

今では、

 

世界史上初めて核兵器(原子爆弾)攻撃対象となった

都市として世界的に知名度が高いヒロシマ。

 

市内で見かける原爆慰霊碑の数々。

平和への祈りと願いを強く感じる市内だった。

 

 

最後に、往時のひろしま在住の被爆者たちの状況を

リンクしておきます。

 

https://www.nhk.or.jp/hibaku-blog/timeline/433567.html

 

 

https://www.nhk.or.jp/hibaku-blog/timeline/genbun/

 

 

二度と戦争を起こしてはなりません。

 

戦争反対! 核廃絶! NO WAR! NO NUKE!

 

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