国立西洋美術館で開かれている

日本・オーストリア友好150周年記念

”ハプスブルク展 600年にわたる帝国コレクションの歴史 ”に行った。

                               (会期:  〜2020/1 /26)

 

 

この展覧会は、ハプスブルク家の歴史とそのコレクションの歴史を順に追って展示されていた。

ハプスブルク家の肖像画、宮廷の一場面を描いた画、そしてコレクションの一部、約100点が並ぶ。

 

(構成)

1.ハプスブルク家のコレクションの始まり

2.ルドルフ2世とプラハの宮廷

3.コレクションの黄金時代:17世紀における偉大な収集

   1)スペイン・ハプスブルク家とレオポルト1世

   2)フェルディナント・カールとティロルのコレクション

   3)レオポルト・ヴィルヘルム:芸術を愛したネーデルラント総督

4.18世紀におけるハプスブルク家と帝室ギャラリー

5.フランツ・ヨーゼフ1世の長き治世とオーストリア=ハンガリー二重帝国の終焉

 

そもそも、ハプスブルグ家とは、

中世以来、神聖ローマ皇帝位を継承した有力な家系。

 

スイスの地方領主から出発し、オーストリアに侵出、ドイツ王の地位を兼ね、

ネーデルラント、ブルゴーニュ、スペイン、ボヘミア、ハンガリーなどヨーロッパの広大な領土の他、

新大陸にも支配地を持った。

またフランスのヴァロワ、ブルボン家、プロイセンのホーエンツォレルン家などと激しく覇権を競った。

第一次世界大戦まで続いたが、敗戦によって消滅した。

 

会場に入る前に、写真を撮れる場所。

 

案内には、

ハプスブルグ家のコレクションの基礎を築いた神聖ローマの皇帝マクシミリアン1世

 

特に、印象深い肖像画を5点記録しておきたい。(図録より)。

 

ディエゴ・ベラスケス

『青いドレスのマルガリータ・テレサ』1659年 ウィーン美術史美術館蔵  

 

ハプスブルク展で展示されているのは彼女が8歳の頃の肖像画。

 

ハプスブルグ家の結婚は政略結婚であったから、

 

まだ見ぬ許嫁にして親戚のレオポルド1世へのお見合い写真的な意味で描かれた。

 

世界三大名画といわれる『ラス・メニーナス』に描かれている彼女は5歳の頃。

 

ラス・メニ―ナスは実物をスペイン旅行の時、プラド美術館で鑑賞した。

 

その時のことは下記をclick!

https://ameblo.jp/kanon7811/entry-12387131167.html

 

 

マルティン・ファン・メイテンス

『皇妃マリア・テレジア(1717-1780)の肖像』1745-50年頃 ウィーン美術史美術館蔵

 

ハプスブルク家の女性といえば、マリア・テレジア。

 

彼女は女帝としてハプスブルグ帝国の発展に寄与しながら、

同時に母としてマリー・アントワネットを含む16人の子供を産み育てた。凄すぎ!

 

政治的には学校を作るといった教育制度や医療の進歩など、

中世から近代への橋渡し的な役割を担った。

 

マリー・ルイーズ・エリザベト・ヴィジェ=ルブラン

《フランス王妃マリー・アントワネットの肖像》
1778年、 ウィーン美術史美術館 

 

透き通るように白い肌と気品あふれる表情に目を奪われる。

 

 

ウィーン美術史美術館の創設者であるオーストラリア・ハンガリー二重帝国の最後の皇帝

フランツ・ヨーゼフ1世(1830~1916年)。ウィーンの街並みを作った。

 

年老いた軍服姿の肖像画は、ハプスブルグ家の終焉を象徴しているようだった。

シシィことエリザベートは皇妃

 

ヨーゼフ・ホラチェク

『薄い青のドレスの皇妃エリザベート(1837-1898)』1858年 ウィーン美術史美術館蔵 

 

エリザベートのウエストが細い。美しさへの関心が高く、

乗馬などのエクササイズを欠かさなかった。

生涯、その美貌を保ったという。

彼女は、ハプスブルク帝国の一つオーストリア帝国はハンガリー人の独立を認め、

オーストリア=ハンガリー二重帝国となるが、最後は無政府主義者に暗殺された。

 

絵画だけでなく、巨大なタペストリーや甲冑、美しい工芸品も見応えある展示であった。

 

ピストル

公式サイト

 

今回の展覧会は、かって栄華を誇ったハプスブルグ家の歴史的背景と

流れがよく理解できる展示だった。

 

そして、

 

以前に行ったオーストリアの旅を思い起こした。

 

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