建築技術が優れたアートの街ベルリンPt.1の続き

 

見どころ満載のドイツの首都ベルリン。

 

戦禍を被ったベルリンは、街だけでなく、

文化や芸術といったものまでが壊滅状態に追い込まれる窮地に立ったが、

幸い多くの美術品は疎開先で保存されても、

そうした戦争の爪痕が、街の至るところに残されていた。

 

〇ベルリン大聖堂(独:Berliner Dom)

ルター派の礼拝をおこなっている大聖堂。

博物館島にいくと目に付く荘厳なドーム。

114メートルの高さをもつ天蓋は第二次世界大戦で被害を受けたが、

1993年に修復され現在の姿を取り戻した。

270段の階段を昇って天蓋部分へ出ることもできる。

 

カイザー・ヴィルヘルム記念教会 (Kaiser-Wilhelm-Gedächtniskirche)

カイザー・ヴィルヘルム記念教会 はドイツ、ベルリンにあるプロテスタントの教会。

”ヴィルヘルム皇帝記念教会”とも訳される。

 

この教会1888年に死去したドイツ皇帝ヴィルヘルム1世を追悼して、

1891年の彼の誕生日3月22日に起工し1895年9月1日に落成した。

ロマネスク様式2740m²のモザイクを含み、尖塔の高さは113m、

身廊は2000人以上の座席だった。

 

それはかつての話で、この教会は一度ベルリンの大空襲において破壊されてしまい、

現在では最低限の修復を施した上で崩れたままの姿で時計塔と美しい記念ホールとして利用されている。

 

決してあの頃の空襲の悲惨さを忘れぬようにと、

広島市の原爆ドームと同様に目に見える記憶としてベルリンの西側に保存される。

 

〇ホロコースト記念碑

虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑

(独: Denkmal für die ermordeten Juden Europas、通称:ホロコースト記念碑

ナチスによって大量虐殺されたユダヤ人犠牲者を慰霊する目的で

2005年にベルリンのブランデンブルク門の南側に建設された。

ちょうどドイツとイスラエルの国交樹立から40年という記念すべき年に、一般公開が始まった。

広大な敷地に格子状に並ぶ2711基の石碑群という意匠は、

建築家ピーター・アイゼンマンによるもの。

 

この記念碑の位置する場所は、ポツダム広場、そしてブランデンブルク門の目と鼻の先にある。日本でいえば、銀座や新宿のオフィス街のすぐ横にあるようなものである。

この一等地に記念碑を建てようと決めたドイツの方針に、過去の歴史にどれだけ真剣に向き合おうとしているのかという覚悟を感じる。

 

〇ドイツ連邦共和国の国会議事堂(Reichstagライヒスターク)。

第二次世界大戦で徹底的に破壊されたが、東西ドイツが統一してベルリンに首都機能を戻す際に大規模修復され、1999年に完成した。

建物上部のガラスドームが美しく、無料で内部を開放している。見学にネット予約が必要。

ガラス張りにしてある理由は「市民に開かれた政治」を象徴しているため。

 

〇日本大使館(独: Botschaft von Japan in Deutschland)

上に菊の御紋があった。

 

〇ベルリン動物園(Berlin Zoo)

パンダがいるからか中国風の様相。動物園では世界最高齢のパンダがいる、という。

 

ベルリン・フンボルト大学(Humboldt-Universität zu Berlin)

在学した著名人(学生・教員) アインシュタイン、マルクス、ビスマルクなど

フンボルト大学の校舎はドイツ帝国時代の宮殿を使っている。

 

〇森鴎外記念館

フンボルト大学日本学科の付属施設にある。

 

月~金の10:00~14:00と開館時間が短いが、入場無料で、

森鴎外の実際に住んでいた部屋が再現され、森鴎外の娘がフンボルト大学の学長に宛てた手紙や、

著書や、「舞姫」の原稿などが展示されている。ほかにも日本語の新聞が読める、という。

他にも、日本語が堪能なドイツ人カトリン(英語ではキャサリン)のガイドによる首相官邸や大統領官邸など、いろいろな建物の紹介があった。

 

ドイツのビルというと無機質と想像したが、洗練されていた。
すべて車窓から撮ったので、うまく撮れなかったかもしれないが、以下、不明な建物の名。

わかったは教えてくださいませ。

 

 

 

続く。

 

 

 

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