Hokusai Updated その1の続きです。
新・北斎展のミュージアムショップで購入した図録からのメモ。
5.為一期~北斎を象徴する時代 The Iitsu Period:The Quintessential Hokusai
61歳となった北斎は号を為一と改めた。
狂歌摺物 連作
以下2点は誰もがご存知!
凱旋快晴
神奈川沖浪裏
冨嶽三十六景シリーズ
諸国滝廻り シリーズ
これらは、1830年代初めのわずか数年間に集中的に制作されたもの。
これらの傑出した作品群の近代性は、存在するものをそのまま描くのではなく
選んだモチーフの妙をテーマとしていることだろう。
花鳥画
武者絵
工芸職人用下絵集
北斎と工芸界のつながりがあった。
6.画狂老人卍期~さらなる画技への希求
The Gakyo-rojin Manji Period: For Ever-Advancing Artisty
1834年、74歳の北斎は富士図を集大成した絵本「冨嶽百景」を出版した。
北斎はこの本の巻末で、画狂老人卍の号を初めて使った。
70代半ばに達した北斎が、さらに精進を積み、
100歳を過ぎて達成する画技の向上を表明している。
この最晩年期には、北斎は版画の世界から遠ざかり、
肉筆画を描くことにより力を注いでいく。
通常の浮世絵にみる風俗画はほとんど描かなくなり、
かわって動物や植物の世界に関するテーマ、宗教的な題材が多くなる。
80歳以降になると、北斎は制作した作品の1作ごとに年齢を記していく。
84歳「文昌星図」 82歳「雲龍図」
87歳「双鶴図ー大岡雲峰と合筆
向日葵図 88歳ー国内初公開
弘法大師修法図
雨中の虎図 卍老人 雲龍図 卍老人
富士越龍図 90歳
最も絶筆に近い作品
肉筆画について、約20点の展示があったが、
年齢を重ねて重厚な画風となって、衰えを全く見せていなかった。
北斎はかぞえ89歳の時に出版した絵手本「画本彩色通」の中で、
90歳で画風を改め、100歳以降は絵画の改革を目指すと記したが、90歳の春に没した。