大原美術館を後にして、昔ながらの歴史的風景を残す

倉敷美観地区(Kurashiki Bikan historical quarter)に行った。

 

ここから近いホテルのレストランで昼食をとった。

 

このツアーは、美術館や旅行好きな女性限定で兼業主婦がほとんどだった。

 

花かごランチが出た。豆皿にそれぞれ美味しかった。

好きなママカリがあった。明石鯛のお刺身。すべて地産地消みたい。

だから東京で食べるよりお値段が安そうだった。
 

 マツタケの土瓶蒸し


私たち女性は十分だけど、

男性だったら量が足りないかもね、と皆で話した≧(´▽)≦

 

食後、この地域を散策した。

 

有隣荘 大原孫三郎が夫人のために建てた別邸

 

橋の向こうに大原邸(国 重要文化財)

 

倉敷美観地区の中心を流れる倉敷川。

 

 

代官所跡。クラボウ(倉敷紡績)発祥の地

 

 

倉敷アイビースクエア

 

 

赤レンガの外壁をおおう「蔦(つた)」で西日を防ぎ、夏は茂り、冬は落葉して、

自然に内部の温度調節を果たした。
昭和48年、クラボウ発祥の旧倉敷本社工場がホテル・文化施設として生まれ変わった時、

その蔦が「倉敷アイビースクエア」の由来ともなった、という。

赤レンガと蔦の回廊をめぐらせた広場を囲むのは、ホテル、レストラン、多目的ホール、ブライダルチャペル。さらに、手づくり工房やオルゴールミュゼ、倉紡記念館があった。
手作り工房には面白いものがあり、閃くものがあった。

また、大原孫三朗がスポンサーだった児島虎次郎記念館があった。
児島虎次郎(1881-1929)のことを引いておこう。

 

大原は、自分と1歳違いの洋画家・児島虎次郎にことのほか目をかけ、パトロンとして生涯援助していた。
児島は1908年から足掛け5年間、大原の援助でヨーロッパへ留学していた。

彼はその後もさらに19195月–19211月と19225月–19233月の2回に亙って、大原の援助で渡欧している。

その主たる目的は画業の研鑚であったが、児島は、ヨーロッパへ行く機会のない、多くの日本の画家たちのために、西洋名画の実物を日本へもたらすことの必要性を大原に説いた。
大原は児島の考えに賛同し、何を購入するかについては児島に一任した。

こうして児島はヨーロッパで多くの西洋絵画を購入したのである。

 
原孫三郎と児島虎次郎の関係は、美しい話と思った。


この後、バスで岡山空港に行き羽田から帰宅の途に着いた。
晴天に恵まれた楽しい旅だった。