スピリチュアルペイン | かのんのんのブログ 肺がんの旦那さんと一緒に

かのんのんのブログ 肺がんの旦那さんと一緒に

H25 6月、旦那さんが肺がんの診断されました。

翌7月に右肺を切除。術後抗がん剤治療をしましたが、H26年3月に再発、全身骨転移、胸膜播種の診断。
分子標的薬のタルセバ開始。その後、治験も含め治療しましたが、H28年 10月18日旅立ちました。ありがとうございました

 ここ数日蒸し暑い日が続いています。
昨夜は急に大雨に降られずぶ濡れになりながら帰りましたえーん
暑かったり、寒かったり…皆様体調管理気をつけてくださいね。

 突然ですが、緩和ケアってなんだろ?って考えたとき、まずは身体の痛みを取ってくれる。
辛い身体症状を和らげでくれるイメージがあります。私の偏見ですよ

でも、身体的なものだけでなく『魂の痛み』を緩和することも、緩和ケアだと思います。

日本はあまり皆さんが特定の宗教を信仰していません。

緩和ケアの定義(WHO 2002)

生命を脅かす疾患に伴う問題に直面する患者と家族に対し、疼痛や身体的、心理社会的、スピリチュアルな問題を早期から正確にアセスメントし解決することにより、苦痛の予防と軽減を図り、生活の質(QOL)を向上させるためのアプローチである。 


だそうです。普段、病院で治療を受けている時きっと主治医も看護師さんも忙しくてゆっくりお話できないと思うんです。

看護師の立場からして、ご家族さんや本人さんとゆっくりお話をしたいのですが…やはり難しいです。

海外の病院にはチャプレンと言う宗教師の方がいらっしゃるようです。

病院チャプレン ケビン・シーバーさん


以前お世話になっていたホスピスにもいらっしゃいました。

あまり接点はなかったのですが何かあれば、捕まえて話すと良いよと言われてました。入院時に面談はありましたが。

その方は牧師さんで臨床心理士さんでした。私はどちらかと言うと、オープンに相談するのが苦手で1人で抱え込んでしまうので、避けてましたね

緩和ケアに移行したけど、どうしても受け入れる事が出来なくて、でも受け入れてるってつよがった態度をとってたと思います。



話がずれてしまいましたが。日本の病院にも、1部宗教家の介入があります。

これも研修で知ったのですが、日本でも医療者が心のケアをするよりも、僧侶やチャプレンなどに心のケアをしてもらった方が良いのでは?と言う流れがあるようです。


臨床宗教師

2011年3月の東日本大震災発生後の5月、人々の心のケアのため、宮城県宗教法人連絡協議会により「心の相談室」が開設。

また、緩和ケアを実践していた医師岡部健により、日本においてもチャプレンのように、寺院以外の場所で終末期患者に寄り添う宗教者の存在が必要との考えにより臨床宗教師が発足されました。

対象とする宗教者は、僧侶や牧師、新宗教の教師など特定の宗教に限らない。

ウィキペディアより1部抜粋してます。


臨床仏教師







 臨床仏教師は、人生の生老病死にまつわる現代社会の苦悩と向き合い、専門的な知識や実践経験をもとに行動する仏教者のことです。 近年、社会での仏教者のあり方は再考されつつあります。同時に、貧困・自死・ひきこもりをはじめとした社会問題やこころのケアに取り組む仏教者の姿が数多く目にされるようになりました。一方で、現場で活動する方々からは、仏教者の社会貢献活動について総合的・体系的に学ぶ機会が少なく、自らの信仰や信念を現場のなかでどのように活かしていくべきなのかを模索しているといった声が挙がっています。 信仰心を礎として社会問題への理解と専門性を兼ね備えた仏教者の輪が広がり、支えを必要とするひとりでも多くの人が、その苦しみを和らげられることを切に願っています。

臨床仏教研究所のホームページからお借りしました。


 私は最近、この臨床仏教師のお一人のお話を聞く機会がありました。
臨床仏教師の資格を取るのは大変なようで、約2年の専門的な研修を受け、最終試験に合格しなければいけないそうです。
初めは95人だったかな?からはじまり、資格取得できたのは6名だったそうです

私がお話しをきいたのは、埼玉にいらっしゃる大草 敏憲さんでした。
臨床現場で心のケア、寄り添いをする事が自分のしたい事だと言う信念で80歳にして、臨床仏教師の資格を取得されたそうです。

大草さんはボランティア僧侶もされていて、お葬式をあげたり、お坊さんをよんで供養ができないような困窮されている方達にお車代だけで読経をあげるとゆう活動もされているようです。


【大草敏憲先生(おおくさ としのり先生)のご紹介】(公益財団法人)全国青少年教化協議会・臨床仏教研究所認定、臨床仏教師。浄土真宗東本願寺派,僧徒。東京・埼玉で、在宅医療機関・介護施設・築地本願寺などで

“いのち”のケアに従事中。“いのち”のケアとは、布教はせず、守秘義務を守り、相手様の信仰・信念・価値観を尊重し、お話を聴くことに徹し、いのちがなくなる苦しみをわかち合おうと努めます。どんな人生であれ肯定し、価値を見いだしてもらうよう促します。人間の尊厳に関わる仕事です。 


活動は依頼された方にお会いして、お話しをずっと聴き続けるだけなんです。

数週間に1回だけです。お坊さんが来る事を嫌がる方もいらっしゃるそうです。死を連想されちゃいますもんね。

ただ、その人が話したいことをずっと側で聴き続けるそうです。


誰かに自分の事を話す。この繰り返しできっとその人はいろんな事を振り返り、考え、何かが決まっていくんだと思います。



日本でも、こんな取り組みがあるんですね。



かなりの長文失礼しました。