「平和の俳句」 | カノミの部屋

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ブログ・443「平和の俳句」2018・5・26

 

 今朝の東京新聞に、「平和の俳句・募集」の文字が見え、大急ぎで記事を見た。今年8月中旬に1日限定で復活するという。「1日だけか?」と、がっくり。

 「平和の俳句」は2015年から3年間、一般から公募で選ばれた俳句が毎朝、東京新聞の一面左側に載った。選者は金子兜太さん、いとうせいこうさん、時々ゲスト選者の3人が月一回、何千という投句のハガキの中から選んだ。

季語がなくてもいい、という素人に開かれていて、俳句を作ろうと思ったこともない私も、作ってみようかという気になった。若い時代を戦争の中で過ごして、長崎の被爆者である私には、「思い」だけはたくさんあった。この「平和の俳句」が続いた3年間、毎日「俳句」のことを考えていた。テレビの「プレバト」という番組も見るようになった。むずかしい。とてもできるわけない。

 戦後70年に当たる2015年元旦から始まった「平和の俳句」の第一句、「平和とは一杯の飯初日の出」18歳の高校生の句である。

 それから毎朝、新聞を待ちわびて、「平和の俳句」の欄を見た。高齢の方の句は身につまされた。「三月十日南無十万の火の柱」91歳の方の句、あの時、私の家も焼けたのだった。

 毎朝、新聞の「俳句」を読み、自分でも作ってみようと思うのに、一向に「俳句」の形にならない。思い切って、ハガキに書いて出したのは半年も経ってからだ。「夾竹桃伝え足らざる戦世(いくさよ)を」。8月9日、長崎で夾竹桃がピンクの花を咲かせていた。被曝を含め、戦争というものの現実を伝える努力をしてこない自分を恥じる気持ちがいつもあった。この句はボツになったが、ボツの句の中から、東京新聞の「平和の俳句」係りの記者さんが、二ヶ月に一度選ぶ紙面に出していただいた。ご褒美をいただく機会の少ない私にとって、これは大きな励みになった。

 1年間で5万7413通の投稿があったそうだ。入選は354句。4歳から101歳までの俳句が新聞に載った。

 「平和の俳句」は、「平和・協同ジャーナリスト基金」の大賞を受けた。1年間の企画は、伸ばされることになった。

 大晦日の紙面に入選句が全部載った。「へいわとはちきゅうもひともしなぬこと」、5月18日、6歳の子どもさんの句に、私は一番共感した。