第15話 奇跡は間に合わない その6
***
家に帰るとちょうどお昼過ぎ。
香菜は智美とアスカと3人で遊びに行ってしまった。
めーたんは仕事でまだ帰ってこない。
つまり、家の中には天使ただ一人だけ。
はぁー…と深いため息をついた後、リビングのソファーに倒れるように座り込んだ。
そのまま横になり、うずくまるように足を折り丸くなる。
制服がシワになるとか早く着替えなきゃとか、色々考えるけど今はどうでもいい。
コイゴコロに振り回されたせいで疲れが半端じゃない…。
なんでこんなに大変なもの、人間はあんな平気な顔で持っていられるのだろう?
何も考えたくない。彼のことも、自分が天使だという事実も、これから先のことも。
クッションに顔を埋めてそのまま寝てしまおうと目を瞑ると、ガシャンと玄関の扉が閉まる音が聞こえた。
香菜やめーたんにしては早すぎる。
ということは。
そう考えた途端、早くなる鼓動。
あぁ、バカ!考えるな!
自分の体に叱咤しても言うことを聞かない心臓は、意思に反してどんどん高鳴っていく。
リビングのドアが開く音と共に聞こえる足音。
確認するために体を少し浮かせて見ると、見慣れた彼の姿。
ぎゅうっと痛くなる胸を無視して「おかえり」と無理やり口角を上げる。
上手く笑えているだろうか?
才加はそんな天使に力強い歩調で近づき、彼女の目の前で足を止める。
その行動に驚く天使の手首を掴みぐいっと引っ張り上げ、無理やりその場に立たせた。
「ちょっと来い。」
そう一言告げると彼女の手を引き部屋を出る。
玄関のドアを開けて外へと向かうと、強い日差しが彼らの肌を刺激した。
真っ青な空には雲ひとつない。
太陽が放つ光はジリジリとコンクリートで固められている足場を熱くさせている。
こんな快晴の中、彼はどこへ行こうというのか。
黙ってついて行くと、辿り着いたのはバス停。
2人分の料金を運賃箱に入れた才加は、サエの手首を掴んだまま乗車した。
一番後ろ、窓側の席に腰掛けた彼の隣に座る。
「ねぇ、どこ行くの?」
「…。」
天使に顔を背けたまま窓の外を眺める彼は何も答えてくれない。
そんな様子を見たサエは不思議そうに首を傾げる。
彼らの心情など無視するかのようにバスは動き出し、車道を走り出した。
いつの間にか離された手。
それを少し寂しく思いながら、何も言わない彼と同じように窓の外を眺めた。
住宅街を抜け、バスは繁華街の中を走る。
時々ピンポンと機械音が聞こえ、「次、止まります」と運転手の声がマイクによって車内に響き渡った。
サエは初めて乗ったこの乗り物が面白くてしょうがないらしい。
キョロキョロと観察を続けていると、次々とボタンが押され降りていく人達。
いつの間にか繁華街を過ぎ去ったバスは、郊外の住宅街を走り続ける。
次第に窓の外の景色は緑が目立ち始め、終いには民家よりも木々が多い地帯へと突入した。
そうなるとすでにバスの中には天使と彼のみ。
本当に彼はどこへ連れて行こうというのか。
段々と不安を感じてきた天使だったが、次の瞬間才加が降車ボタンを押すのが見えた。
停留所で止まったバスから降りると、見渡す限り木に囲まれた森の中。
才加はそこに張り出されている帰りの時刻表を一度確認した後、歩道に沿って歩き出した。
暑い日差しが木によって日陰になり気持ちがいい。
だけど、どうしてこんなところに?
左右を見渡せば広がる森林。
歩道脇は緑で覆い茂られていて、足を踏み外せばすぐに砂利と雑草が広がっている。
そんな道を歩き続ける才加の後ろをついて行くが、彼の目的が見えないことに戸惑いを隠せない。
感情を読み取ろうとしても、強い意志を持っているとしかわからないのだ。
「サエ。」
不安に俯きながら歩いていると、彼が自分を呼ぶ声が聞こえ顔を上げる。
長く続いているコンクリートの歩道を横に外れ、雑草の上に立っている彼が見えた。
そしてその獣道のように道が開けた森の中を指差している。
「こっち。」
本当にどこに行くのだろう?
恐る恐る彼に近づくと、再び手を握られる。
そのまま引っ張られながらその深い森の中へと足を進めた。
緩い坂道になっている暗いその林の中で彼の背中を見つめていた天使は、ふと視線を下に向ける。
彼の大きな手に包まれた自分の手、そしてその感触にサエの頬は熱くなった。
胸の高鳴りが抑えられずうるさいくらい身体中に響き渡る。
その時、ザアッと強い風が吹き木の葉が擦れる音が聞こえ、サエの胸は違う意味でドキッと飛び跳ねた。
ドキドキしちゃだめだ。好きになっちゃダメなんだ。
天使として持ってはいけないその感情を、緑の木々たちに見つめられ監視されているような気持ちになる。
落ち着かずに冷や汗をかいていると、次第に明るくなる視界。
前を見ると林に囲まれた道が終わりを告げるところ。
ようやく抜け出した森の中は、まるで水平線のように続く大草原。
視界を遮るものなど一つもない。
まるで緑の絨毯と青い空がくっ付いているよう。
そんな広大な景色に思わず感動の声を漏らした天使の手を引っ張り、「こっち。」と促す才加。
向かうのは小高い丘の上。
少し坂になったそこを登りきり、そこからの景色を見た瞬間、サエは言葉を失ってしまう。
黄色い花火が一面に広がるその大地。
風に揺れる無数の向日葵が、太陽に向かってその花を咲かせている。
青い空と緑の高原、そしてそこに溢れかえる黄色い向日葵。
その景色に圧倒された天使は、その場から動けなくなってしまった。
「綺麗だろ?」
横に立っている彼が優しく微笑みながら天使にそう問いかける。
「嫌な事とか辛い事とかどうしようもなくなった時、時々ここに来るんだ。」
「そう、なの…?」
「…お前、最近様子おかしかったから…。」
「え?」
彼を見上げると、少し赤くなった頬が見えた。
「きっとあの症状の事で何かあったのかもしれないけど…俺は何も聞かないから。」
「…。」
「まぁ、生きてりゃ色々あるし。そういう時って自分自身でどうにかするしかねぇんだよな。俺はこの景色を見せることくらいしかできねぇけど…」
「…おかろ…」
「…」
才加は少し目を泳がせた後、サエに顔を背けたままさっきよりも小さな声で呟いた。
「いつもの、元気なお前に戻るまで…まっ、待ってるから…。」
フワリと風が吹き、彼の後ろで縛った尻尾のような髪が揺れる。
そのまま顔を背けていたが、何の反応も返ってこない天使に次第に不安になった才加はチラリと彼女を盗み見た。
サエの様子を見た才加は、途端に目を丸くしてしまう。
一面に広がる向日葵を見つめたまま、彼女がボロボロと大粒の涙を流していたからだ。
「おっ!おい!どうした!?」
慌てふためいた才加は彼女の涙を自分の手で拭っている。
されるがままになっている天使は、彼から離れ自分の手で瞼を擦った。
「…とう…」
「え?」
「ありがとう、オカロ…。嬉しい…ありがとう。」
噛み締めるようにサエは泣きながら彼に感謝を伝える。
「迷ってた自分がバカみたい…。もう、この先どうなっても後悔なんてしない。」
「な、なんの話だよ?」
「んーん!何でもない!」
そう声高らかに発したサエの声は、いつものあの陽気なもの。
彼に向かってくしゃりと笑ったその顔は、いつもの無邪気で太陽のような笑顔。
それを見た才加はホッとしたように顔を綻ばせる。
「オカロ!」
天使は彼と向かい合い、目を細めて微笑んだ。
「大好きだよ。」
どうしてこんなに素敵な気持ちを異物だなんて決めつけていたのだろう。
天使にとっての恋愛の意味なんて忘れてしまうくらい、真っ直ぐすぎて不器用な彼を深く好きになった事が幸せで誇りに思えてしまう。
深く心に刻み込むようにそう一言伝えたサエは、頬を赤く染め愛おしそうに彼を見つめている。
才加はその笑みに思わず胸が高鳴り、吸い込まれるように魅入ってしまった。
その後、どちらともなく「帰ろうか?」と声をかけその場を離れた。
果てしない大空に手を伸ばすかのように咲いている向日葵。
夕陽が影を作り、少し強めの風が吹き荒れた。
黄色い希望はそれでも立ち続ける。
そんな花達のたくましい姿を思い出したサエは、強く固い決心を胸に宿らせながら停留所までの道を進むのだった。
深く心に刻み込むようにそう一言伝えたサエは、頬を赤く染め愛おしそうに彼を見つめている。
才加はその笑みに思わず胸が高鳴り、吸い込まれるように魅入ってしまった。
その後、どちらともなく「帰ろうか?」と声をかけその場を離れた。
果てしない大空に手を伸ばすかのように咲いている向日葵。
夕陽が影を作り、少し強めの風が吹き荒れた。
黄色い希望はそれでも立ち続ける。
そんな花達のたくましい姿を思い出したサエは、強く固い決心を胸に宿らせながら停留所までの道を進むのだった。