第15話 奇跡は間に合わない その7
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晩御飯を食べ終わり、自分の部屋へと戻った才加は驚いて扉の前で一歩後退りした。
部屋の中にいた天使がいつもと違う格好をしているからだ。
黒い帽子を被りワイシャツにリボンタイ、その上に羽織っているジャケットは黒字に白の班目模様。
同じ柄のパンツスタイルのその姿は、普段の彼女の雰囲気を一切感じさせない。
ショートカットで背の高いサエがそんな格好をすると、本当に男の子のようで思わず目を張る。
「あ、オカロ。」
「なんだ?その格好。」
「これ?んふふー、天使の正装!」
話によると天使は普段出会った時に着ていたキャミワンピのような姿でいるのだが、きちんとした公の場や上司と会話する時に着ていく格好がちゃんとあるのだとか。
その衣装は天使によって異なり、サエの場合はこの姿が正装にあたるらしい。
まるで男装のようなその服装に身を包んだまま翼を出現させた天使は、ニッコリと才加に微笑んだ。
「羽もすっかり治ったし、ちょっと天国まで行ってくるね。」
「は?」
「だいじょーぶ!心配しなくてもすぐ戻ってくるから!」
バンッと彼の肩を叩いた後、部屋の窓を開け放ち足を掛ける。
「じゃあ、いってきます。」
そのまま窓の手すりを蹴り上げジャンプした天使は、翼を羽ばたかせて夜空に飛び立ってしまった。
「…すぐって、いつだよ?」
部屋に残された才加はそうポツリと独り言を呟くと、いつ帰ってきてもいいようにと窓を少しだけ開けておこうと考えた。
しかし今晩待っていたとしても、きっと彼女は戻ってこない。
才加はなんとなくそうわかっていたようだ。
天使が告げた『すぐ』がいつになるかわからないまま、才加はそれでも彼女を待つことしか出来なかった。
***
暗く冷たい雲の中をグングンと進む。
いくら真夏とはいえ、こんなに猛スピードで飛んでいれば寒さも感じるだろう。
病み上がりの体を労わることなく全速力で飛び続ける天使は、雲の外に出てキョロキョロと辺りを見回している。
綺麗な星空と暗い雲、そしてその隙間から見える人間が作り出した夜景。
遠くに大きな黒い雲を見つけたサエは、それに向かって勢い良く飛び出した。
ボフッと音を立ててその中へと侵入すると、真っ暗な視界。
それでも猛スピードで進み続ける。
その時だった。
途端にパッと明るくなった景色。
先ほどまでの夜空も消え去り、淡いピンク色の空が現れた。
見下ろすと巨大な雲の上に、白い大理石で出来た門や柱があちこちにいくつも設置されているのが見える。
虹色の川が流れ滝となり、雲の下へと落ちた水は途中でキラキラと輝き跡形もなく消え続けている。
青い小鳥が飛び交い、ハープの音が聞こえるその穏やかな雰囲気。
サエは懐かしさに目頭が熱くなるのを感じたが、目尻を押さえて涙を我慢している。
その雲の大陸へ向かうため体勢を変え、どんどんと降下していく。
そこに2人の少女がハープを持ったまま向かい合っているのが見え、そこへ向かって降り立とうと軌道を変える。
「だーかーら!何回言えばわかるん?ここはこうやなくて、こう…」
「もうめんどくさい。」
「え?もう!?電池切れ早すぎるんですけど。」
「だいたいハープなんて他の人が弾くから覚えなくても大丈夫じゃない?」
「もぉー!ぱるる、なんでそんなこと言うん?」
雲の上へと着地したサエは、言い争いをしている2人の後輩天使に向かって歩き出した。
その姿に気付いた美しい容姿の少女は、「あっ。」と声をあげて彼女を指差す。
「サエさん。」
「何言うてんの?サエちゃんは怪我で人間界に…」
「ぱるるー、ユイー!」
聞き慣れたその声が耳に入った瞬間、ユイと呼ばれた天使はピタリと動きを止めた。
そしてゆっくり振り向くと、そこには長年慕っている先輩天使の姿。
「さっ、さっ…」
「んー?」
「サエちゃーん!!!」
勢い良く彼女に向かって走り出したユイは、そのままサエに抱きついた。
「あははー!なんだよー、クリスマスに会ったばっかじゃん!」
「ううぅ~…!」
「泣くなよぉー」
「ユイはずっとサエさんの帰りを待ってたから。」
泣き止まない後輩の頭をぽんぽんと優しく叩いてから、サエはみんながいるであろう広場へと向かった。
そこへ姿を現すと大勢の少女たちの歓喜の声が響き渡り、揉みくちゃにされてしまう。
「サエちゃーん!」
「れいにゃーん!会いたかったよぉ~!」
「ちょっ、サエちゃん久しぶりすぎてやばいです。かっこよすぎます。」
「さっしー、変わってないねぇ。」
「もぉー!どこ行ってたの!?ずっと会いたかったのに。」
「ああああー!アイちゃーん!かわいいー!だいちゅき!」
サエが一人の少女をぎゅうっと抱きしめると、「らぶたん、ズルイ!」「サエちゃん、私もー!」という声が少女たちの間で飛び交う。
「サエちゃん、クリスマスぶりー。」
「リエちゃーん!おひさっ。」
「ぴょんちゃんが怒り狂ってたよ。サエはまだ帰ってこないのかって。」
「げっ。エレナ、今いる?」
「今仕事でいませんっ。」
その一言にホッとしたサエ。
こう見えてもサエは天使の中で結構偉い地位にいるらしく、サエが帰って来れない間、同じ役職であるエレナという天使がサエの分も働いてくれていたらしい。
後で謝らなくては。
「ちょっとともちんのところまで行ってくるね。」
「もぉ、だから大天使様って呼ばな…」
「わかってるって!」
そう言いながら彼女たちに別れを告げたサエは、広場から離れある場所を目指して歩き出す。
途中で虹色の川に架かる橋を渡り、そこを通り過ぎるとシンと静寂に包まれた地帯に出た。
淡いピンクの空に真っ白な雲の足場。
だけど人影が全くないその不気味な場所を、サエはどんどん進んでいく。
暫く歩くと見えてくる数十メートルはあるであろう大きく真っ白な扉。
由来はわからないが、天使たちはそれを昔から『最後のドア』と呼んでいる。
門番が2人そこに立っていて、サエの姿を確認すると持っている槍の先を彼女に向けた。
「ここは大天使様のもとへと続く道。要件は?」
鎧のせいで顔は見えないがもう何百年、何千年とこのドアを守っているその存在に、サエは強い意志を持って答える。
「報告です。」
「内容は?」
「ある一人の天使が、特定の人間に恋愛感情を持っているという事を伝えに。」
そう告げると、門番は彼女に向けていた槍をしまった。
「その天使の名は?」
「…。」
「答えよ。」
俯いて黙り込んだサエを怪訝に感じたのか、もう一度槍を構えようとした門番を見上げるサエ。
グッと手を握りしめて強い視線を送る。
「『サエ』です。」
「…。」
「…私の名前です。私は人間界で、一人の人間に…恋愛感情を抱いてしまいました。」
そう門番に伝えながら、サエは数日前のあのことを思い出す。
屋上に呼び出したアスカと交わしたあの会話。
悪魔が躊躇うように教えてくれた事実について。
『ぽっちゃん、あの…これも古文書に書いてあったんだけど…』
『うん。』
『恋愛をした天使はね…』
『うん。』
『消滅して、その存在が消えてなくなってしまうんだって…。』
To be continued.