こんにちは。
セルフコーチング✖️人生構築の
オリジナルメソッドで
生き方に自信を育む
”自分の人生を愛する人を増やす”
叶羽 時(かのは とき)です。
前話▶︎【12話】頑張り方の土台ができた”九九”事件/叶羽時人生ヒストリー
小5の時。
3歳から続けて習っていた
ダンスのレッスンの時です。
先生)時ちゃん背中の高さが左右で違うから
一度、整形行ってごらん?
歩く時も、左手しか振ってへんし。
整形で何もなかったら
癖やから直していけるしね
と、教えてくださったんです。
...と言うことで
整形外科へ行って診察。
そこで
脊椎側彎症が分かったのです。
側彎症は、成長期に背骨が
S 字に捻れながら曲がってしまう病気です。
原因も解明されておらず
現状維持の治療法しかなく
根本から改善できる方法は未だに謎です。
私自身も、小中学校の時に
上半身を覆うプラスチックの
コルセット(装具)をつけていました。
(夏がきつかった)
小5の時点では
ショックと言う気持ちはそこまでなくて...。
後々、宝塚を目指すようになった時に
初めてショックを受けるんですが...おそっ笑
本当に
お気楽お調子者の愉快な私が
最高に役立った時でした。
もう一つ。
お気楽お調子者の愉快な私が
最高に役立った時がありました。
小3の時です。
夏休みに家族で旅行に行っていたら
朝方に父が
白目を剥いて、口から泡を吹いて
痙攣を起こしたんです。
人間って、あんなふうに
ホラー映画みたいな...
白目を剥いて震えて...
痙攣って起こすんだ。って衝撃でした。
もちろん、すぐ受診して
脳腫瘍ということが分かって
入院、手術
そして半年間の放射線治療。
(今年、再発が見つかり
最初に受診した病院では
「余命一年」と言われ、母は茫然自失。
すぐさま、違う病院へ受診して
そこでは「へ?治りますよ」と言われ...
おいおい〜最初の先生、頼むで〜
なんてこともあったのですが...。
やっぱり、私は
お気楽お調子者の愉快な私
だったんですね。
それは、何でだったんだろう。って
今でもよく振り返ります。
何にも考えてなかった...ような気もするし
幼いながらに、考えていた気もするんです。
この時に考えていたことって
「どうにかなる」ってことでした。
子どもなので、勿論
根拠はありません。
思考回路も曖昧です。
でも
妙に「なんとかなる」って
思い込んでました。
自分の背骨がまっすぐ伸びなくても。
例え
進行が早くて
内臓に負担をかけるくらい
背骨が曲がって
手術になっても。
「どうにかなる」
父の病気が、例え
治らなくても
言語障害が出たり
記憶が曖昧になったりしても
最初に言われた通り
「余命一年」だとしても
「どうにかして生きていく」
この根拠のない
「どうにかなる」は
両親に幼い頃から言われ続けた
「グジュグジュ言わない」が
効いてると思ってます。
不満、不平があっても
泣き喚かない。
ぐずぐず言わないって言うのを
「グジュグジュ言わない」と、ずっと
言い聞かされていて...。
起こっている出来事に対して
「グジュグジュ言わない」
グジュグジュ言っても
自分の望んだ通りになるわけじゃない。
グジュグジュ言うよりも
「なんとかなる」って思って
冷静に起こった出来事と向き合う。
お気楽お調子者の愉快な私の
原点は、ここだな。と思います。
「グジュグジュ言わない」
グジュグジュ言わないで
淡々と...冷静に生きてきた結果。
今、現在の私の背骨はこうなっています。
もっと進行してもおかしくないものを
ここまでで角度を食い止められています。
2021年3月撮影
に出会えたおかげでもあります。
側彎症に悩んでいる方
この背骨でも
踊り続けられましたし
歌も歌えました。
正直、きつかったです
痛いですしね。
息吸いにくくなりますし...。
でも、グジュグジュ言わずに
どう向き合えば最善の道を進めるか?を
考えて取り組めば
歌も踊りも
ハードな舞台も続けられます。
側彎症によって
夢を諦めている人が多いと、よく聞きます。
大丈夫!!
私が、側彎症でよかった。
そして、夢を諦めなくてよかった。と思うのは
「人一倍、身体を大切にできること」
悪いことの裏には
良いことが必ず隠されていますからね
続く▶︎▶︎【14話】え...「人」って怖いかも/叶羽時人生ヒストリー