wbオガワさんのブログに旭川ismについて書かれていた。
そういう人はどこにでもいるけど、ご自分がまともにそれに晒されて、
その概念についての思いが強くなったんだろう。
自分は悪くない、自分をそういう気分にさせた相手が悪いという思考回路について。
(もちろん全員そうだとはオガワさんも言ってない)
これ、色々な面でありえない思考回路。
言ってしまえば、自分も周りも不幸になる思考回路。
そしてそれが、おそらく狭い世界で暮らしてたらそうなるのかもな、という話でありました。
外に出てみればそんなの通用しない。
でも知らないからその思考で生きてしまう。
そうなりがち、というのが想像に難くない。
そこまでのことがあったわけじゃないけど、
結果的に私は、所は違えど外に出て良かったと思った。
単に親の厳しさに「自由になりたい!」と思ったのが動機だった。
だけどどっかで、
いじめがあった環境で大人になったら生きづらいだろうというのに加え、
街としてあまり発展性がないなと漠然と思ったのもあった。
実際、昔よりだいぶ街はきれいになったけど、どっかスカスカというか、
寂れ感があるのは否めない。
生まれ育ったところだし、風景に思い入れもあるし、お祭りの音を年中思い出すくらい好きではある。
でも、日々暮らすにはちょっとツラいなと思う。
目に見えるほどの閉塞感や認知の歪みは、うちの実家の家族を見ては思わないけど、
なんとなく、小さい世界、という感覚はある。
私は今とてもいいとこに住んでると思う。
言っても地方都市だし、ここより大きな街に行けばもっと観劇の機会も増えていろんなものが観れる。
けれども、程よく混んで程よく空いてて、不便さはさほどなく、景色は良く、
古い小さなお店もあり、新しいお店もちゃんと魅力あるのもいいし、
都会的ではないけど、淀まず新陳代謝がいい街のように思う。
いろんな人がいる中で、人のことを気にしてばかりの生きづらさもなく、
かといって自分さえよければというほどの我の強さもなく、
個々がそれぞれ少しの思いやりを忘れず、ちょうどいい距離感で過ごしているように思う。
もちろん私は交際範囲が広くないので私の知る限り、ではあるが、
全く知らない人に関しても、本気で「なんだこの人?」というような人にはあったことが記憶にない。
これは私がのんびり屋だから気付いてないだけなのかもしれないが。
(多分家人はそう思うだろうw)
城郭が残ってないけど城下町を誇りに思ってるような雰囲気もなんとなくあるし、
一番大きなお宮と、ここを治めていた方々を祀った神社が街を守ってるような気もする。
そういう空気もいい。
なので、街毎のカラーというのがあるのは何となく感じるし、それは仕方ないことだと思うけれども、
狭い世界でだけ生きてたら自分の思考が歪んでると気付くこともないのだろうなあ、とか考えたのであった。
そこに住んでる人にとっちゃ余計なことかもしれんけど、
私ならたぶん「このままここにいられない」って飛び出すだろうなって思う。
窮屈な、とか、閉塞感、とか、周りを固められて動けないのを何より私の魂は嫌うし、
「ずっと」ということも、実はあんまり好きじゃなかったりするから。
ただねえ、海がないのよねえ、ココ。
それだけ残念( ̄▽ ̄;)