こんばんは kanoanoaこと
ゆっきーです
前回の【 私の「べき思考」 現る】で
ある罪悪感の裏に
「子供は親孝行をするべきもの」(必ず)
という 価値観があり、
その価値観が
「絶対に守らなければいけないルール」
となっていることに気がつきました
(詳しくは【 私の「べき思考」〜】を読んでみてね)
今回は・・・
私の中の
「子供は親孝行をするべきもの」(必ず)
という価値観(マイ ルール的なもの)は
果たして必要なのか
その価値観を持ち続けることで
自分に「プラス」となるのか?
を考えていきたいと思います
(「親孝行」に対する価値観は
人それぞれなので
ここではあくまで
「私にとって」ということで書いています)
「子供は親孝行をするべきもの」(必ず)
という私の価値観は
強制的ルールになってしまっていること
そして
それにより
自分(私)を「苦しめている」こと
(自己嫌悪のもととなっている)
を考えると「プラス」ではない
じゃ、なぜ
自分を苦しめる価値観を手放さないのか
(手放すことができなかったのか)
自分に問うてみると
「良い子の私でいないといけない」
なぜ、良い子でいないといけないの
「愛されないから」
・・・
私にとっての
「親孝行すべき」は
「親にとって(都合の)良い子であるべき」
という価値観(マイ ルール)のようです
兄弟もいるので
私は「良い子」という手札で
両親からの「愛」を
得ようとして作り上げた
価値観だったのかな
もう、いいよね・・・
愛されるために
「親にとって(都合の)良い子であるべき」という
この手札(価値観)は
もう必要ないよね
手放そう
次回は
不必要になった価値観を
手放していきたいと思います