ヴェッキオ宮殿 五百人広間



シャボン玉のような中に、私一人だけがいる

私の周波数で現実を創り出し

他人とは、その時空間を共有しているだけ

私一人しかいない

私の中のいろんな周波数が絡み合って現実を
創っている

私の世界にAさんという人がいたとする

私の色眼鏡(喜びの周波数とする)でAさんを
見ているとAさんは私に喜びを与えてくれる
人になる


例えば、私の夫が不安の周波数で、Aさんを
見ていたら夫にとってのAさんは
不安をもたらす人になる

この話を聞いた時、なるほどと思い
同じAさんでも人によって印象が違うのは
こういう事かと思いました

しかもこれならAさんは実態はないようなもの
これで、この世界は映像というのは
そういう事なのかと思いました


例えば私が、Aさんに迷惑をかけてしまったとします
でもそれは私が迷惑をかけたのではなく
Aさんが迷惑をかけられるという周波数を
もっていたからです

という話を聞いた時

こう思いました


私が迷惑をかけてしまったと思っている出来事が
それを迷惑だと思わない人もいて
その人が相手だと、迷惑をかけた
かけられたが成立しない

でも成立する相手を引き寄せ
お互いそれをやる
その事で気づきの場を与えられている

なので迷惑をかけた、かけられた出来事自体は
お互いの思い込みに過ぎないという事

ライトな出来事だとそう解釈するのもしやすいけれど

ヘビーな事だと、納得いかないという気になるけど
自分でその立場になる事を選んできている

これはカルマであったり、その経験を必要とする
魂の思いかもしれない

でももうそこから抜けれるのが
これからの時代

それをやりにきた
抜ける所を体験しにきた

そこには希望しか見えない✨