中央区議会議員、青木かのです。

 

日本のエネルギー施策の一端をになった長崎の「軍艦島」に行ってきました。正確には「端島」ですが、遠くから眺めた時、その形状が、

「軍艦土佐」に似ていることから軍艦島と呼ばれるようになりました。

 

軍艦に見える?

 

軍艦島は2015年、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」に登録され、石炭産業の構成施設のひとつと位置付けられています。

 

日本の近代化を支えてきた炭鉱の一つです。

 

 

灯台の隣に見えるのが、強大な貯水タンク。

真水は給水船で運ばれ、ここから島中に配給されていました。

 

また、この白い灯台は、当時はありませんでした。採掘は24時間行われていたので、島自体が24時間明るく灯台は必要なかったのです。

 

最盛期には、総戸数71棟の建物が林立しており5千人を超える人々が生活していました。

当時は世界一の人口密度でした。

 

 

こちらは、日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造高層アパート。よく見ると、このアパートの手前(海側)には、もう1棟窓が小さな建物があります。これは台風の高波から住居棟を守る役目がありました。

 

では、これらの建築物はなぜ、崩壊したまま放置されているのでしょうか?

 

 

実は、世界文化遺産に登録されたのは、明治時代に建設されたこの建物(総合事務所)と、防潮堤のみなのです。この2か所は、倒壊しないよう保全修理が行われていますが、それ以外の建物は、手が加えられていません。

 

 

当時の文化・建築物を知る上で、大変重要な遺構だと思います。