(このブログの資料は全て東京2020立候補ファイルから引用)
東京2020大会まで、1年を切って、マラソン・競歩の会場変更等、さまざまな問題が出てきています。
招致運動の中心となった、「立候補ファイル」とはいったい何だったのか、改めて見直してみました。
まず、今問題となっている「東京の気候」について。
確かに
“この時期の快適な夏の気候は、アスリートにとって理想的である。”とあります。
ファイルがつくられた2011年、東京の夏はすでに猛暑でした。
またコンセプトの1つとして「究極のコンパクト五輪」を謳っていました。
‟選手村はウオーターフロントである晴海埠頭に位置しており、東京オリンピック・パラリンピック競技大会の地理的な中心であるとともに大会の中心的理念でもある。大会の主役となる選手の移動しやすさを考慮し、東京にある31会場のうち28会場は、選手村から半径8㎞圏内に配置している。”
このような立候補ファイルは開催地を決定する際、重要な要素となると思っていたのですが、結局決まってしまえば、何でもありなのですね。
※私の考えはアスリートファーストに反対するものではありません。