佃については、その歴史についても随分知られるようになりました。徳川家康と同時期に江戸に移住した摂津の国の漁師たちが石川島近くの砂洲に築島して定住し、この島を故郷である佃村に因んで佃島と命名した、というもの。
大阪市立佃小学校と中央区立佃島小学校の交流は、もう50年を超えています。
一方、定住人口の回復策として月島地区でもいち早く再開発が始まった大川端リバーシティは、8棟の超高層マンション群。
街の中心である住吉神社の例大祭は3年に1度。次の開催は、来年ということで住吉講の新しい仲間募集のポスターが至る所に張られていました。新しい住民にも開かれたコミュニティです。
高層マンションと、下町文化の共存、これが佃の魅力です。