月島は東京市によって埋立・造成され、
明治20年代に出現した人工の島。

日本の重工業の進展とともに、
石川島造船所を中心に中小工場が集積した街から、
石川島播磨重工業が移転した跡地は
「大川端リバーシティ21」計画と呼ばれ、
東京都も「ウォーターフロント開発」として推進した。

このエリアには7棟の超高層マンションの建設が計画されたが、その最初の1棟に入居が始まったのが1989年。
前年の1988年に有楽町線が開通している。
そういえば、当時は“ウォーターフロント”というのが、何ともおしゃれな響きで、毎日どこかでドラマのロケをやってた。
因みに私が中央区に引っ越してきたのも1989年。(最初は勝どき、その後月島)

以前に、このブログでもご紹介した
武田尚子著「もんじゃの社会史」によると、
このような街の進展とともに、月島もんじゃは
①駄菓子屋での子どももんじゃ
②1960年代頃から大人もんじゃ
③1980年代頃から革新もんじゃ(もちめんたいチーズのヒット)
④1990年代から「月島もんじゃ」のブランド化と共に外部からの参入
と、進化してきた。

このGWも、西仲通り(もんじゃストリート)には毎日多くの観光客が。今年の特徴は、外国からの観光客が増えたこと。う~ん、私が毎日見てた肌感覚と、おばちゃん達との会話情報によると、30%位でしょうか?

素材は十分インターナショナル。
これからも街とともに進化し続けるもんじゃに期待☆

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