比較的穏やかな陽射しに誘われて、本来ならばリハビリをかねて散歩をしながら、事業所先への現況把握をするところであったのですが、やっぱり体力が落ちているのか、陽気に誘われたのか自転車に乗ってしまい、ほぼ一時間のサイクリングをすることになりました。

暖かな陽射しとは言え、自転車に乗って風を切れば寒さも違い、防寒の意味で薄手のブルゾンを羽織り野球帽を被って自転車に乗ってきました。

通い慣れた道でしたが、走るスピードと身に着けている服装がいつもと違った意識を芽生えさせてくれて、風を切る感覚を存分に楽しみながらも、自転車のスピードが速い分注意力が敏感になっていたようです。

歩く速度では考える能力もそれ相当に俊敏にさせて、注意力も何倍かに働くことになり、すれ違う車や歩行者に敏感に気を遣って、走る風をまともに受けてきたのですが、曲がり角や狭い場所の交差には、歩行する時の何倍もの動作が必要になってきます。

加齢からくるのか、運転する動作が緩慢になっていて、その自分自身の判断能力や技量がおぼつかないことに、多少のイライラを感じながらも、心地よい風を身体に受けることができました。

時々年齢を考えずに両手を離したままで、角を曲がってみたりして、危険極まりなくとんでもない自転車暴走族を遣らかして、無事に帰ってきたからこそ、気分高揚のサイクリングができたようです。

なんだか、オープン・スポーツカーをこよなく愛する、高齢ドライバーの心境が分かってしまったようですし、人が持つ本能的な気分爽快を身体で受け止めることは、本来的には時代の変遷に無関係のようです。

すっかり身体が適応能力を無くしてしまっていて、風を切る時間が長引くほどに、骨身にしみる寒さを味わうのですが、爽快さも若さを満喫させる技と心得れば、もっともっと外気をふんだんに身体に染みわたらせる必然性を認識させたとところでした。

暑ければエアコンの設備の整った建物や車で生活をしてしまいますし、寒ければ暖房の効いた屋内に閉じこもってしまい、便利で生活のしやすい安易な現行は、実に生活がしやすく楽で暮らし易い環境なのですが、自然の厳しさや優しさのありがたさが、年々希薄になってしまう心配をしてしまいます。

どんなにか暑い日でも厳寒の日でも、生きる生活を工夫させて、母や祖母が工面をしてくれたことが懐かしく、家族の絆や愛情の深さをごく自然に、日々の生活から学びとっていたようです。

綿入れ袢纏や手編みの毛糸の手袋や帽子が、家族が暖を取る炬燵にいる時間に、女手によって日ごとに出来上がる様子は、同じ家族からすればなんとも親や祖母のありがたさが伝わってきて、大きな情操教育になっていたのでした。

暖にしたところで、炬燵一つに大勢の家族が揃って入るのですから、それぞれの家族一人一人が自覚をして、家族を支え合っていたことが暖以上の温もりを醸し出してくれ、お互いが弁える大人が育つことができたようです。

何でも共有させることが当たり前の時代背景に、何の不満もなく育ったことが、どんなにか家族の一員の仲間としていれる幸福感を、心の中に膨らませることが極々当たり前であったのです。

久しぶりに自転車の走行をしながら、なぜか大自然が豊かであった大昔のことを思いだして、行き来する歩く人々と家族が、きっと優しい心をもって家族愛を発揮させることを願ってしまったのでした。