もう先週のことになるのですが、中国や韓国や台湾、バングラデッシュ、ケニア等からの奨学生総勢20名と一緒になって、静岡県にある奨学金制度の切っ掛けを作ってくれた、米山梅吉さんの記念館を拝観してから、初めて米山梅吉翁のお墓参りをしてきました。
米山家が地元でも相当の素封家であったことがわかる三島市長泉の街、墓地としては広大な敷地がありましたし、米山家代々とは別のところに梅吉翁の墓地が独立して存在していましたことが、その功績の大きさを物語っているようでした。
長泉の街の一角には、ご子息さんの資金と全国からの支援を受けて造られた、個人記念館が残されているのですが、その脇には二階建ての立派な新館の記念館があるのですが、旧館には10数年前に二度ばかり訪問をさせてもらっています。
奨学生等や親代わりになっている、カウンセラー等が同乗した観光バスで到着したのですが、記念館の周囲は当時からすると、すっかりと風景が変わっていて、一昔前に来た時とはまったく違った明るい新興街の様相が待っていてくれました。
記念館の中には、東京で生を受けて三島の街で成長し、東京での学生時代から8年間のアメリカへの渡航と、帰国してからの活躍ぶり等を、記念館の学芸員から縷々説明をうけることができました。
帰国してからは、三井銀行時代の活躍ぶりが窺えて、日本経済の草創の期に、大きな功績を残されていて、三井銀行の主宰者の一人として大手腕を振るって、日本経済の発展の一助を担った方です。
なによりも我が国初めてのロータリー・クラブを東京に設立させて、三井信託銀行の創立から係った事業家としての活躍と成功は、世の中に一層施しをする自責の念に駆られていったようです。
今では全国のロータリアンから理解と支援をうけて、奨学金制度の運営がされているのですが、経済的にも社会的にも資本主義社会が産声を上げようとしている時代を先見して、社会貢献を最優先にさせて、今の社会では若すぎる隠居生活のなかで、奉仕の理想を一心に実現させていったのです。
もてる私財を学校教育や社会貢献の為に遺憾ななく提供させることは、経済的なゆとりに恵まれたのではなく、ご自身が苦学をされていた人生を達観していたからこそ、世の中や人様の為になる仁徳を積まれていたのだと思うのです。
現代の成功者は、先ずは利己的な自得を考えがちですが、私財を社会福祉や学校施設への寄付に拠出することができる私欲がない財界の方は少ないように推察してしまいます。
こうした無欲な生きざまに感銘と共鳴をうけたロータリアン仲間が、米山梅吉翁亡き後に、遺徳や功績を偲んで創られたのが、米山梅吉記念奨学金制度であり、今では全国はじめ、各国からの寄付金が集まり、多くの学生の支援をすることができています。
時代背景も厳しい現実をうけていて、ロータリアンから集まる寄付額が年々減少しているのですが、今では財団になっている奨学会が工面をしながら、年間支給する奨学生を一人でも多く支援するようにしているのです。
その功績以上の人柄が、人の心を掴みとるのでしょうし同情や共感を得ることができるのでしょうか・・・
今後の残された我が人生の中で、もしかしたら僥倖があるかもしれなくと淡い期待感を持ち、それ以上の欲望感や願望もある身ですが、梅吉翁のような立派な社会功績はなくとも、僥倖を社会に還元させるべき気心は、真に本気度を増しているところです。
屈託なくあかるく元気に勉強をしている、米山奨学生との一泊研修旅行からは、我欲も国益も人種も宗教も超越させた空間ができていたことが嬉しく、人種的にもまったく見境のない友愛を垣間見ることが嬉しかったのです。
旅の途中でも奨学生からカウンセラーが、いろいろと教えてもらったことが多くあり、梅吉翁記念館の研修から、一層の斟酌と互恵の精神が酌みとることができて、国際交流という名目以上の人間交流が有益に波及された旅になり、積極的な寄付行為の励ましが増長されたことが、実に頼もしく受け止めることができたのです。
学ぶことが多くある気づきとは、カウンセラー自身が反省をしながら受け止めて、特にケニヤからの学生の素晴らしい笑窪が印象的に、やけに自信と誇りある素敵な顔つきに変化していたことが嬉しくて、とっても爽やかに脳裏にのこっています。
米山家が地元でも相当の素封家であったことがわかる三島市長泉の街、墓地としては広大な敷地がありましたし、米山家代々とは別のところに梅吉翁の墓地が独立して存在していましたことが、その功績の大きさを物語っているようでした。
長泉の街の一角には、ご子息さんの資金と全国からの支援を受けて造られた、個人記念館が残されているのですが、その脇には二階建ての立派な新館の記念館があるのですが、旧館には10数年前に二度ばかり訪問をさせてもらっています。
奨学生等や親代わりになっている、カウンセラー等が同乗した観光バスで到着したのですが、記念館の周囲は当時からすると、すっかりと風景が変わっていて、一昔前に来た時とはまったく違った明るい新興街の様相が待っていてくれました。
記念館の中には、東京で生を受けて三島の街で成長し、東京での学生時代から8年間のアメリカへの渡航と、帰国してからの活躍ぶり等を、記念館の学芸員から縷々説明をうけることができました。
帰国してからは、三井銀行時代の活躍ぶりが窺えて、日本経済の草創の期に、大きな功績を残されていて、三井銀行の主宰者の一人として大手腕を振るって、日本経済の発展の一助を担った方です。
なによりも我が国初めてのロータリー・クラブを東京に設立させて、三井信託銀行の創立から係った事業家としての活躍と成功は、世の中に一層施しをする自責の念に駆られていったようです。
今では全国のロータリアンから理解と支援をうけて、奨学金制度の運営がされているのですが、経済的にも社会的にも資本主義社会が産声を上げようとしている時代を先見して、社会貢献を最優先にさせて、今の社会では若すぎる隠居生活のなかで、奉仕の理想を一心に実現させていったのです。
もてる私財を学校教育や社会貢献の為に遺憾ななく提供させることは、経済的なゆとりに恵まれたのではなく、ご自身が苦学をされていた人生を達観していたからこそ、世の中や人様の為になる仁徳を積まれていたのだと思うのです。
現代の成功者は、先ずは利己的な自得を考えがちですが、私財を社会福祉や学校施設への寄付に拠出することができる私欲がない財界の方は少ないように推察してしまいます。
こうした無欲な生きざまに感銘と共鳴をうけたロータリアン仲間が、米山梅吉翁亡き後に、遺徳や功績を偲んで創られたのが、米山梅吉記念奨学金制度であり、今では全国はじめ、各国からの寄付金が集まり、多くの学生の支援をすることができています。
時代背景も厳しい現実をうけていて、ロータリアンから集まる寄付額が年々減少しているのですが、今では財団になっている奨学会が工面をしながら、年間支給する奨学生を一人でも多く支援するようにしているのです。
その功績以上の人柄が、人の心を掴みとるのでしょうし同情や共感を得ることができるのでしょうか・・・
今後の残された我が人生の中で、もしかしたら僥倖があるかもしれなくと淡い期待感を持ち、それ以上の欲望感や願望もある身ですが、梅吉翁のような立派な社会功績はなくとも、僥倖を社会に還元させるべき気心は、真に本気度を増しているところです。
屈託なくあかるく元気に勉強をしている、米山奨学生との一泊研修旅行からは、我欲も国益も人種も宗教も超越させた空間ができていたことが嬉しく、人種的にもまったく見境のない友愛を垣間見ることが嬉しかったのです。
旅の途中でも奨学生からカウンセラーが、いろいろと教えてもらったことが多くあり、梅吉翁記念館の研修から、一層の斟酌と互恵の精神が酌みとることができて、国際交流という名目以上の人間交流が有益に波及された旅になり、積極的な寄付行為の励ましが増長されたことが、実に頼もしく受け止めることができたのです。
学ぶことが多くある気づきとは、カウンセラー自身が反省をしながら受け止めて、特にケニヤからの学生の素晴らしい笑窪が印象的に、やけに自信と誇りある素敵な顔つきに変化していたことが嬉しくて、とっても爽やかに脳裏にのこっています。