子供のころの懐かしい思い出はまったくなく、繁華街の駅前のどこにもある名の通った飲食店の看板が目に入り、とくだん深い郷愁もなく案内をくださった地元の方の背中をみながら、高層の建物を仰ぎ見ながらのキョロキョロと歩いて行きました

過密に建っているビルのお蔭でもって、遠視ができなく自分が何処にいるのかもわからなくて、昔の面影を見つけようとしていても、なかなか自分の脳裏にある風景がなくて、結果的には他の街名を言われてもわからないほどです。

地元の方が先導するままに後を追いかけているのですが、物珍しい風景を見つけているだけですし、街中にある神社や仏閣の前を低頭にして通らせてもらい、古い建物の風情を感じとりながらの歩行となりました。

ちょうど10分ほどで到着したところが、意気な建物になっている老舗のお蕎麦屋さんで、地元では有名なお店らしく、お昼のお馴染みさんが詰めかけていて、順番待ちで結構繁盛していました。

古い街並みに心が和むのですがなぜか違和感がなく、何かの関連があって再訪している安心感を身に味わってしまったのですが、知り合いが案内をしてくれている安心からでしょうか。

代々引き継がれている老舗のお店には、その歴史を表現させるためにそれなりの工夫をしていて、時代経過の重みを感じさせられますが、地元の方からすれば日常の慣れごとなのでしょうか、足も止めずに過ぎ去っていました。

物珍しさが先に立っている部外者とは違って、足の運びも軽やかに目的地に向かっている姿が多いのですが、まったく久しぶりに訪問する人間からすると、蔵がある店や瓦屋根の大きな庇がある木造店舗が、やさしい環境を醸し出してくれていました。

たしか子供のころに、伯父に連れられて訪問していることの記憶が蘇ってきて、あのころには、蔵も木造店舗も現役として沢山のお客さんを呼び込んでいたのでしょう。

すっかり近代化されて、大きなビルが群れのように聳え立っている駅前商店街に、タイムスリップさせる憩いの場があることが、今にしてみれば、大きな宝物を備えた町として誇れることを感じ取りました。

バスや車がひっきりなしに通り過ぎる町並みに、人が歩道に追いやられてしまいましたが、繁栄を謳歌していたころは、沢山の人々が往来をにぎやかに闊歩していたことでしょうし、家族連れで散歩や買い物を楽しむ姿が、広い道いっぱいに賑わっていたことでしょう。

おそらくは我が先祖の皆さんも何回も訪問をして、楽しんでいたことでしょうから、関係する親類や縁者の皆さんも何回も訪問していることに思いを馳せてしまい、気持ちの中では一緒に再訪した街を懐かしく思っていたのです。

何処に行ってもそうですが、心の中で念じることがあって、先祖を辿れば皆さんはどこかで繋がっている気がするし、袖すりあう人はすべてが縁者である気がするのです。

お互いの先祖を遡っていけば、遠い時代に仲間であったりすることを夢思えば、必然的に心優しくなるし穏やかな暮らしぶりができると信じています。

お互いが利益優先に付き合うだけでなく、思いやる心をもった互譲の精神をもって、付き合うことを心がければ、どれほどか心置きなくお互いを信頼し合えることとなります。

子供のころの往来での人ごみで観た顔とは、温和でお節介なほど人情があって、頼もしい大人の集団が心強く感じたものでした。

今の子供の眼からすると、どれほど子供達からすると凛々しく立派な大人の姿があるのかを問えば、少々情けない思いをしているところです。

古風ある老舗の多い街を再訪して、純真な心になれたことが嬉しくて、気が休まったことをお土産にすることができ、ふと安堵した時間に満足をしているところです。