おなかの奥にある腑の本音とは、どのようにしたら話すことが出来るのでしょうか、言葉の中では、本音ではなすとか、腹をわって話すとか言われますが、現実になると難しいものがあります。


いつも顔を合わせている仲間であっても、余計な詮索になると心構えてしまい、相手の方の名誉や矜持に思いをはせて、気遣いの遠慮をしてしまいがちです。


どんな場面の会合でも言えることですが、過剰な思い遣り精神が発揮されて、素直な言葉がなくて、正確に物事を聞き出し伝言することができない、厳しい現実があるものです。


いつも願っていたことがあって、今日はそんなことが実現することを期待して、予定されていた会合を興味深く待つことができました。


顔なじみのお仲間が手を貸してくれて、20名ほどが参加する会合が始まったのですが、お互いが顔を見合わせることが出来るように、丸いテーブルに向き合って企画をしてみました。


前もっての会合の意味合いを広報していましたから、ある程度はそれなりの理解をもって集まってくれて、皆さんが積極的に話しの輪に入ってくれたのですが、お互いが信頼しあっての会話とは、ある程度の時間が必要なことが理解できています。


一人でおしゃべりを延々とする人や、勝手な意味ないことを話す人がいたりして、最初は空回りの空論があったのですが、一つの発言をきっかけにしてから、堰を切ったように話し合いがされてきました。


お互いの会話がなくとも、日常からその人となりを観ている事が理解でき、尊敬に値する身であれば、その恩恵として腹をわった話しができることを体験することができたのです。


何人かの方々が言葉にしていたのですが、そのリーダーとしての認知を如何にしてもらえるかが、深い信頼につながることを認識して、結果的には優れたリーダーを共有しあうことなのです。


お互いが尊敬し合えるリーダーを鑑にして、お互いに信頼をして心を許しあえる時間が必要なことと、普段からの醸成の分かち合う間が必要なことを感じ取ることができました。


会議の時間が経過するうちに、最初はなかなか本音の部分が言い出すきっかけがなかったものが、一人の発言を機会に堰を切った討論となりましたことが、リーダーの見習いを辞任すれば、好い学びの機会になりました。


一人一人が優れたリーダーを自認することができれば、おのずと腹を割った本音が出てくるわけですから、結果的には人格を磨きあう仲間が大勢いればいるほど、磨かれた本音が出やすいのかもしれません。


とするならば、まだまだ荒削りな仲間達が、一層学び励み自身を研鑽していくことを自認して、相手の方を思い遣ってあげる必要性を弁えてあげることが、大きな意義であると思っています。