特別に鬱積がある分けではないのでしょうが、毎日のリハビリの生活で精神的な疲労圧迫があるからでしょうか、こんなにも感情を顕わにした義母を見るのが初めてでした。


定期的に訪問しているのですが、リハビリ施設の個室でもって駄弁っていたら、義姉夫婦が偶然やってきて、一番の身内だからか、急に不満に思っていた言葉を言い出して、戸惑う義姉夫婦に向かって、厳しい判断と指示をだしていました。


特段利害関係の厳しい話しの内容ではないので、お互いに極普通に会話が出来ていたのですが、親の沽券に係わる矜持があったのでしょうか、得々と説明をすることになりました。


親孝行として、黙って聞いてあげればよかったのですが、身内だからこその、お互いが甘える気もあって、義母が納得できないと苛立ち始めてしまいました。


同居する親子であれば、何処のお宅でも日常の会話の一つとして、当たり前にされている生活内容なのですが、一番近い身内の長女がくれば、日頃の鬱憤の発散も兼ねて、厳しい言葉の遣り取りになったのでしょう。


結果的には日頃のガス抜きとなってくれて、5分もたたないうちに、お互いが平常心で普段と変わりない会話となりましたことで、ホット胸をおろしたのですが、女性同士の言葉の遣り取りは、結構気を使ってしまいます。


家族と離れて、毎日限られた環境で大勢の仲間と一緒になっての生活では、時にはストレスが積もるでしょうし、時々に発散することが出来ない分、義母とすれば辛いものがあるのでしょう。


一年間あまり通っているのですが、これほど激高した義母の姿は初めてでしたし、何時もは温厚な世間話に華を咲かせて、気楽な訪問ができていましたから、なにか気分転換を欲している時期なのかと懸念していました。


時間が経った今になって、冷静になって考えてみれば、実の親子が勝手な言い分を言っている会話なわけで、取り立てて気を使ってあげることでもなかったのかと、家族同士の一場面を冷静になって判断したところです。


マスコミを通して孤独な高齢者のトラブルが報道されていますが、結局のところ、親に育てられた現実と、親に恩返しをする極当たり前の行為を、放棄するよりは忘却させてしまっていることが源泉になっているのではないでしょうか。


世間のなかでは、よく認知症とかボケとか言われますが、そうした症状に成りえる環境が一層影響を大きくさせる可能性が考えられます。


義母にとっても、適度な激昂はかえって良い刺激になると思うのですが、リハビリ施設の現状では、なかなか声だかに会話をする環境はなくて、結構虎視眈々として他人の行動を斜視しているのです。


甘える身内が身近に居る事の幸せを親子が認識をして、親子の絆を享受しあえる一時を、関係する身として、冷静になって味わうことができていました。


これほどまでに冷静に判断が出来るまでには、結構な時間の経過があったのですが、全くの他人同士が同じ屋根の下で暮らして、ようやく本人同士が納得して家族として同化するのですが、同じ時間経過が身内の親子や兄弟にも派生していくのです。


これまでは、気を使ってよそ行きにカモフラージュしていた形ばかりの身内から、嘘隠しもない本物本性で交流がされる身内として、いつの間にやら素性進化が構築されていたようです