自分の持てる処理能力に欠けることを、一番良く知っているのは自分自身ですから、何かと意気地なしの様子を垣間見ながら、なんとか豪腕なまでの解決能力を真似てみたく、技量を高めることを念じて細々と期待をしているのですが、まるで上手く行っていない現実があります。

人様への貪欲までのサービス精神は豊かであり、自分の時間を削っても無い知恵を絞って、孤軍奮闘する毎日があり、お手伝いをさせてもらうことが性にあっているようです。

もっと自分のためになることに、時間を有意義に活用したら良いと、自分ながらに思っているのですが、お人好しの精神は不思議な意欲があって、益々旺盛に発揮されて一層磨かれて光り輝くようです。

人の要請を安易に受け入れやすく、喜んでお手伝いできることを受け入れてしまうことを、かえって誇って良いのだと、少々居直って考えている現状があるのですが、はたしてそれほどの誇れる実力が伴っているのでしょうか。

自分の本当の能力を理解できないままに、表面的な人当たりが良いからと、そんな安易に評価をしてくれた方々が、まったくお気の毒に思えてきてしまいます。

そんな自己反省をする中でも、頼ってきてくれたり物事を教えてほしいと依頼があったり、誇大に評価をしていただける方が、いてくれることが嬉しいやら不安があるやら、複雑な思いをしているところです。

人望があるからだろうと、勝手に自分自身を決め付けることはできませんが、人徳や人望というのは、基本的には生まれ乍らの人の心中に備わったもので、人生の過程の中で自身が育み磨き上げることで、人間的にも一段とすばらしい、人望の積み増しができるのでしょう。

人徳のある人だと言われてみたいし、信用がある人だと言われてもみたいし、貪欲なままに思うことは、いずれにしても我欲だけでは身につかないことを知るべきです。

何よりも、良く心を磨き世間を学ぶ謙虚さが必要ですし、人様には献身的な思い遣りが大切なことだと信じています。

若い頃には、すべてが自我がつよくて、すべてに自利の精神が優先されてしまい、損得ばかりの判断をしがちでしたが、長い人生を歩む中で勉強をさせてもらうことができ、自分だけでなく、世間の人様がいてくれる価値を理解することができました。

接する人様が喜んでくれることを心掛けて、一見無駄かもしれない思い遣りをすることが、自分自身が納得できることになるのです。

人様が喜んでくれるなら、出来る範囲で献身できることを優先させている、今の自然な姿が一番似合ってるし、生活しやすい思いをしています。

先日にもJR駅で床に寝てしまっている若いお嬢さんがいて、利用客は皆さんが素通りする中、大丈夫ですか、と声を掛けてあげました。

身体が不自由な方で、松葉杖を利用しているのですが、歩行のタイミングが悪いと転んでしまうとの説明を受けましたが、斜めになってしまう体型で持って、一生懸命に杖を頼りに歩く姿から、大きな感動を伝授させて頂きました。

不自由な言葉と身体でも、ごくごく自然に観念した言葉遣いが、逆に痛々しく感じられたのですが、通行する殆どの方が見て見ぬ振りの現状は、果たしてどのように世間を見ているのでしょうか。

素通りする中には、いかにもお人よしと言いたいような方も見受けられて、極自然な当たりまえの善意が踏みにじられている残念さがありますが、これが自分のもっている人徳とすれば、誰憚ることなく堂々とした自分の人生を、今のままに素直に全うさせてみたいのです。