落雷を受けて、暫しパソコンの無線ランが上手く作動しなくなり、てんやわんやの夕刻でしたが、一転二転するお天気模様は、小粒の雹をたっぷり降らせてくれました。

あれほどうるさく雷鳴を轟かせて、多方面に大きな落雷を残してくれたのですが、一過すれば、普段と同じ生活が戻ってきて、小一時間の雷鳴と落雷と降雹の激変の一時を、ベートーベンの交響曲にある第6シンフォニー、田園のメロディーを懐かしく思い出しておりました。

庭にある杉と椎と松の枝下に、以前から大きな毛虫の糞があることを、知っていたのですが、おそらくは、糞の大きさからして、体長が5センチは優に超えるだろうと推測していたのです。

夕刻の落雷に関係があるのか、数匹が庭に落ちていましたが全く元気がなくて、ほぼ身動きできないままに横たわっていました。

思っていた通りの、体長が大きな松毛虫なのですが、すっかり弱りきってこれから蛹になる旺盛な食欲もなく、至って患っているかのような弱毛虫なのです。

つい先日来から散見する毛虫が弱々しく見えるし、棒で触っても逃げるでもなく、薬剤をまかれて衰弱をしているような感じですが、虫の流行病があるのでしょうか、ちょっとばかり気になることです。

そんな話題を家人にしたら、同じ思いをしていたそうで、何時もは追いかけられないほど逃げ足が速いのですが、簡単に駆除ができたそうで、へんな心配をしているそうです。

とてつもない迫力をもって、天空を我侭顔にして暴れまわった雷雲も、昔から比べると違いがあるのかもしれませんが、なんとなく長閑に雷鳴を過ぎ去ることを待って居れる、心の余裕があった気がします。

落雷のスケールは客観的には把握できませんが、昔のほうが遥かに大きいように思うのですが、都市下水も完備がされてなく、その濁流がたちまちにして、各地に池を作ってくれて、俄か釣堀になっていました。

通っていた小学校の脇を小川が流れていたのですが、何度も決壊していますし、校庭が一面冠水してしまい、帰路の通学路が隠れてしまったことが、何度か経験をしております。

田んぼの中の道が見えなくなってしまい、一面水の街になったこともあったのですが、ごくごく自然の排水に任せる余裕がありましたし、それが当たり前の時代背景が、全てに諦めることにあったのでしょうか。

道が川になってしまい、濁流が早くて子供の足に履いた長靴がつぶれてしまうほどで、長靴の中に雨水を入れてまで、水遊びを楽しみながら帰宅が出来ていましたし、親からの叱責も全くなかったことが不思議です。

目の前にある大変な難儀を抱えていながらも、突然に豹変したお天気に翻弄されてしまい、暫し子供のころの思い出が蘇ってきてしまいましたが、全ては無駄なことはなく、おそらくは今夕の体験から、難儀の解決策が見て取れているのかもしれません。

降雹の折に雷鳴とともに、群れで飛び交う小鳥達がいて、まるで雷鳴をバッグに踊っているかのようでしたが、大自然界の中で生かされている、全ての生命が綾なす関係を無にすることなく、生きる本能は時を超えるようです。

不安定な天気が続く時季が過ぎれば、今度は炎天下のもと、様々な命が次世代に継承する行動を見せてくれますが、日々をできるだけ溌剌とさせて、精神的にも新鮮さを協調できる、有益な生き様を自覚していこうと思っています。

変化するお天気模様は、温暖化がすべての主因であるとすれば、これまた人間のなさる業ですから、常に対峙する心がけと解決に向けた叡智を、その時代に生きるものの責任として受け止めていくことが必要になってきます。