梅雨真っ盛りの陽気となった午後になったら、大雨の土砂降りになってしまい、傘が役に立たないほどの風も強くなってきました。
都心に行っていたのですが、地下鉄を利用していては外の景色も分からなくて、東京駅でもJRのホームが地下にあるために、電車が走り出して地上に出てから、初めて雨脚の大きさが分かったものでした。
新東京タワーも霞んでしまい、展望台の建設も目にすることができなく、久しぶりの上京であってもノンビリすることが出来なく、気ばかりが冴えきる仕事だけの行き帰りをしてきました。
梅雨の地下鉄駅は蒸し暑く、異様な湿気が服を脱ぎたくなってしまうほどで、ホームの不快指数は最高になっていましたし、久しぶりに加湿状態の地下にいることの実体験がされ、違和感として強く認識されていました。
地下鉄丸の内線を東京に向かっていたのですが、冷房が寒いくらいに効いた車内では、外国の方が団体で旅行をしているような、大勢の老若男女の方々が、大きな荷物を我が物顔で電車の中央に置いて歓談をしていました。
会話の端はしに成田空港の名前が出ていましたから、これから帰国するのでしょうが、とにかく他の乗客の迷惑にお構いなく振舞って、日本の方が気を使って大きな荷物を迂回していたほどで、お国柄と言うか大らかな国際人の集まりに遭遇しました。
肌の色も顔も違った中年の集団は、日本人よりも礼儀が欠けていて、とにかく我が物顔で地下鉄車内を占領した様子があって、大きな旅行カバンが業とらしく、観光旅行者であることをアピールしているようでした。
公共の場は市民の場であることを主張して、社会人の権利として移動空間を陣地ごときに考えているのでしょうか、生まれ育った自由国家の社会の仕組みがあるとすれば、社会とは皆が平等に生きることができる生活空間なるのでしょう。
こうした観察が出来るのも、東京だからこそ機会が多くあるのですが、時たま海外に出掛けて公共移動空間で、奇態を演じてしまう旅先の安易な考えから、その国の方には迷惑を掛けている可能性があるわけです。
人の振りして我が身を正すことを、素直になって認めて謙虚になって改善をしていくことが大切な心得なのです。
もっともお国柄で自己主張をすることが主義であり、国民として生活に溶け込んでいるとすれば、電車内の立ち居振る舞いも納得できることです。
ここまで書いてきて少し反省をすることは、観光客は決して身勝手な横暴ではなく、エティケットを弁えていることが観察されましたが、人に譲り合うことと一歩引く謙譲の心に欠けている様子です。
自分を護り自分を主張し自分を評価してもらう、全ては自己責任を自認しての国民性であれば、多少の迷惑も許せる範囲なのかもしれませんし、何処の国民も団体活動になってしまうと、異常な言動をしやすくなるものでしょう。
地下鉄の車内は窓から観える風景とは無縁ですから、どうしても人間観察に目が行ってしまいますが、どこかで誰かが自分を観察しているとしたら、またそれも社会の一端であり当たり前に受け止める必要があります。
不特定多数の方々と移動空間の一期一会の繰り返しから、自分の成長に結びつける気付きをえることができることを心得て、自分磨きの大きな自負として、確信させていこうと思うことができたのです。
都心に行っていたのですが、地下鉄を利用していては外の景色も分からなくて、東京駅でもJRのホームが地下にあるために、電車が走り出して地上に出てから、初めて雨脚の大きさが分かったものでした。
新東京タワーも霞んでしまい、展望台の建設も目にすることができなく、久しぶりの上京であってもノンビリすることが出来なく、気ばかりが冴えきる仕事だけの行き帰りをしてきました。
梅雨の地下鉄駅は蒸し暑く、異様な湿気が服を脱ぎたくなってしまうほどで、ホームの不快指数は最高になっていましたし、久しぶりに加湿状態の地下にいることの実体験がされ、違和感として強く認識されていました。
地下鉄丸の内線を東京に向かっていたのですが、冷房が寒いくらいに効いた車内では、外国の方が団体で旅行をしているような、大勢の老若男女の方々が、大きな荷物を我が物顔で電車の中央に置いて歓談をしていました。
会話の端はしに成田空港の名前が出ていましたから、これから帰国するのでしょうが、とにかく他の乗客の迷惑にお構いなく振舞って、日本の方が気を使って大きな荷物を迂回していたほどで、お国柄と言うか大らかな国際人の集まりに遭遇しました。
肌の色も顔も違った中年の集団は、日本人よりも礼儀が欠けていて、とにかく我が物顔で地下鉄車内を占領した様子があって、大きな旅行カバンが業とらしく、観光旅行者であることをアピールしているようでした。
公共の場は市民の場であることを主張して、社会人の権利として移動空間を陣地ごときに考えているのでしょうか、生まれ育った自由国家の社会の仕組みがあるとすれば、社会とは皆が平等に生きることができる生活空間なるのでしょう。
こうした観察が出来るのも、東京だからこそ機会が多くあるのですが、時たま海外に出掛けて公共移動空間で、奇態を演じてしまう旅先の安易な考えから、その国の方には迷惑を掛けている可能性があるわけです。
人の振りして我が身を正すことを、素直になって認めて謙虚になって改善をしていくことが大切な心得なのです。
もっともお国柄で自己主張をすることが主義であり、国民として生活に溶け込んでいるとすれば、電車内の立ち居振る舞いも納得できることです。
ここまで書いてきて少し反省をすることは、観光客は決して身勝手な横暴ではなく、エティケットを弁えていることが観察されましたが、人に譲り合うことと一歩引く謙譲の心に欠けている様子です。
自分を護り自分を主張し自分を評価してもらう、全ては自己責任を自認しての国民性であれば、多少の迷惑も許せる範囲なのかもしれませんし、何処の国民も団体活動になってしまうと、異常な言動をしやすくなるものでしょう。
地下鉄の車内は窓から観える風景とは無縁ですから、どうしても人間観察に目が行ってしまいますが、どこかで誰かが自分を観察しているとしたら、またそれも社会の一端であり当たり前に受け止める必要があります。
不特定多数の方々と移動空間の一期一会の繰り返しから、自分の成長に結びつける気付きをえることができることを心得て、自分磨きの大きな自負として、確信させていこうと思うことができたのです。