とかく行き違いがあることは人間社会の中では間々あることで、極当たり前のことと思っているのですが、その場に責任を任された時に身に感じる不安感は大きく、ことの事情によっては奇態な試行錯誤の連続になってしまいがちです。

その当事者からすれば、一生懸命に果たされた役割が、結果として真反対の大変難儀なことになっていることがよくあって、その無意味さの価値が分からなくて、不安時が過ぎ行く空しさは、行き違いの結果が明らかになった時に実感させられます。

先日入国していた台湾からの友人たちが、宿泊を予定しているホテルが分からなく、あちこちからの問い合わせ電話があって、大変に頓珍漢な時間を費やしてしまいました。

国内旅行のすべては、台湾の観光旅行業者が手配をしていることを信じて、明日旅先から戻るのをお待ちしていたのですが、今日になって予定されていたホテルには予約がされていないことが判明して、到着を明日に迎えて、受け入れ担当者が右往左往の慌てぶりとなってしまいました。

受け入れの役目を背負った、担当者の慌てぶりが可笑しいくらいに観え、途方にくれた顔をして東奔西走している様子を窺い、何年か前にあった、同じ役目を担っていた時の思い出が鮮明に蘇ってくるのでした。

関連したホテルに確認を入れても何処のホテルにも予約が入っていなく、台湾側の観光業者のミスかは分かりませんが、受け入れ側の責任者はとんだ迷惑を蒙ってしまった愚痴を、何事も学びごとと割り切って欲しいことを慰めてあげました。

数年前に同じ失敗を経験した身とすると、同じことが繰り返されていると失笑をして、当時の学びから対処をすることができる余裕があるのですが、担当者とすれば想定外の出来事になって、その不安な心境を思えばお気の毒になってしまいます。

当の担当者からすれば経験のない中、一生懸命に役割を果たす姿が新鮮ですが、気合の入れ方の配分が分からなくて、万が一に躓いた時に依頼をする相談相手が把握できなく、結果的に大きな負担を背負ってしまいがちです。

岡目八目的に揶揄してしまうと失礼になるのですが、人の使い方、依頼の仕方で結構大きな負担の差ができてしまうことを、体験した中から学びとっていますから、今回のようなトラブルは、どのように対処をすればいいかを判断できやすいのです。

体験者とすれば、困った時にお願いをする最適な窓口の人脈を理解していますので、ある程度は確立的に最善な効果を発揮させることができるものです。

今日のように闇雲な解決策は効果が薄いですし、真っ当な窓口だけに一任しても埒が明かなく、一人で難題を抱え不安になることよりは、適材適所の人脈を上手く使いこなす知恵を活用させてみたいものです。

そのためにも、日常からの人の交流が大きな効果を生み出す事になって、人心の把握を大きな心得とすることが、いつかは功を奏する流れになると信じています。

何時までも人から岡目八目をされる身ではなく、時には人様の言動を窺いながら、高見の岡目八目を発揮させてみたいものと願いますし、今日不安を経験された方にも、早くの機会に岡目八目を会得してもらいたいと、その成長振りを期待したところです。