昨日のこと、メールで添付された高感度の写真に見入ってしまったのですが、実に父親そっくりの顔になったことと、母親の姿になったことをつくずくと実感させられました。

自分で言うと照れてしまうのですが、やっぱり親子の血は争えなく、顔つきは親父さん体つきはお袋さんからのDNAが間違いなく継承されているようで、今では両親のお陰を誇りにしていますが、これからの老いの晩年にむけて親から授かった身体を活用させて、誠心誠意で謙虚な心優しい人生を送っていきたいものです。

写真からうける第一印象からは、そのそっくりな仕草が受け取れて自分自身でも驚いてしまうのですが、昨日のメールで送信されてきた写真に写されている姿こそ両親の生き姿であり、遥か昔に逝去した二人の生前の思い出が蘇ってくるのでした。

今日散髪に行って鏡に写る顔を改めて眺めていたのですが、病気で痩せた顔の皺が急激に多くなってきて、老いた顔からは溌剌さが感じられませんでしたが、まだまだ自分とすれば若さ満々としている心算でいても、水も滴る時代は遥か以前に過ぎ去ってしまったようです。

ちょとばかり寂しい思いをしてしまったのですが、人間は枯れてこそ価値があるのだと孤高に奮起して、顔よりも姿よりも心の中身が大切であることを確信させて、はたして自分の生き方は親父似なのかお袋似なのかと訝るのでした。

父親も母親も情が深くて、人に対しての面倒見が遥かに良いところと、揃ってオシドリ夫婦であったのですが、父親は結構な短気癖があって気骨のある一面のなかに寂しさも漂わせていました。

母親としても我慢の時期が沢山あったのでしょうが、ご近所からの信望が厚く、面倒見の良い太っ腹なところがあり、父親としても随分助けられた内助の功が大きくありました。

今と違って大家族の厳しく辛い生活があったのですが、二人して家を護ってきてくれ、子育てをしてくれた尽力には、心から敬服をして感謝をしているところです。

あまり親孝行らしいことをできなく天国に送る事になったのですが、二人の晩年には徹底的に介護を尽くしてあげ、いつも済まないと感謝をされたことだけが嬉しくて、悔いの無い見送りができましたことは、子としての責任が果たせた誇りがあるのです。

今になってみれば自分の子供たちは、どのような親の評価をして背中を観ているのか不安なのですが、自分の両親を介護して天国に見送り、今になって家人の両親の介護を手伝っている姿をみせることができ、代々親子の絆を継承できることを願っているところです。

表面上の容姿は別にして、心優しい品格を腑の中にもてる人間を形成するためにも、老いても子に従うことなく、老いてこそしっかりと子供に背中を見せたいものです。

親の背中から何を学ぶかは、先ずは親の仕草を真似ることが大事になってくるのだと思いますので、そのためにも人生の先達として凛とした姿を示す必要があります。

心を磨くことの大切さを、できるだけ多くの方の講演から感化でき身につけてもらうことを心掛けているなかで、致知出版社の講演会にはできるだけ同道するようにしています。

大上段になって心を磨きなさいとは躾けることもできなく、自分自身が苦難をして辿り着いた致知誌との出会いを引き継いでもらえるように、親を真似る意欲がでるような、そんな人生に専念をしているところです。

真似ることから学ぶ姿勢が生まれるように、立派な心も弁える必要があるとすれば、日常の仕草と外見の容姿もつねに晴れ晴れしく凛とさせて、品格ある優しい心の人としてのお手本を、大いに心掛けて生きる必要がありそうです。