無意識に街を歩いている時にすれ違う知人とは、オヤッと思い気付いた頃にはすれ違っている場合が多いのですが、偶然の出会いには色々なことを思い知らせてくれます。
偶然の出会いはその人の人間性が素直に伝達させてくれて、日常に交流されていることとは違った表情をしていたり、非常に思慮深いお顔を見ることがあったりして、声を掛けづらいときもあるのです。
昨日と同じように北風が容赦なく厳しく吹き付けるなか、愛犬と一緒に川土手の道を完全防寒の姿で歩いていたのですが、毛糸編みの帽子でも北風の冷気が浸透してきて、寒いと言うよりは体温を奪われる厳しい冷気でした。
川面を渡ってくる風からは気温を更に低くする要素があって、体温が一層奪われてしまい、肌を刺す痛さを感じながら愛犬との散歩をしたのですが、すれ違った老人が腰を屈めて今にも止まってしまいそうに歩く姿が痛々しく観えました。
一週おきに家人の実家を訪ねているのですが、いつも同道させる愛犬の散歩のために、北風の強風の中をものともせずに川土手を歩いたのですが、顔を寒風から守るようにさせて身を護るように散歩をしてきたのです。
昨年に怪我をしてから、リハビリのために施設にご厄介になっている義母の励ましのために、一週おきに夫婦して訪問をしているのですが、帰路に家人の実家によってくることが慣習になっています。
同道した愛犬の散歩のために、近所を散策することが習慣になっているのですが、まれに見る冷気の強風が、散歩を戸惑いさせるのですが、自身のリハビリのためにもと信じて、散歩を鼓舞させてしまいます。
そんな時に出会った身を屈めて危なかっしく歩く老人に、この寒風の中で無理に散歩も無いだろうにと同情をしてしまい、一人問答で心配をしていたのですが、一時間ほどの散歩から実家に戻ることができました。
帰路の車の中での話題で家人から伝え聞いたことですが、岳父が川土手で出会った2匹の犬を連れた初老の人がみすぼらしく観えて、寒い風に吹かれて実に気の毒に見て取れたことを話したそうです。
寒風の中で腰を屈めて歩いていたのは岳父であることが判明して、人情味をもって哀れんでくれたことは、実に実に滑稽であり微笑ましい話題となりました。
親子揃って、毛糸編みの帽子を被った完全防寒具での身なりでは、お互いが判別できない同士で細い川土手の道を通り過ぎていたわけです。
暫し滑稽な話題で盛り上がってしまったのですが、世の中の流れや綾とは意外でなく、こうした出会いのすれ違いの不連続で構築しているのかもしれません。
袖振り合うも他生の縁と言う諺がありますが、日常の生活の中とはきっと様々な出会いが用意されているのでしょうが、小才は縁に出合いて縁に気付かず、中才は縁に気付いて縁を生かさず、大才はそですり合うだけの縁をも生かすことかもしれません。
果たして自分は小才なのか、中才なのか、大才なのかも判断がつきませんが、機敏な感覚だけは高い意識を持って大才の人になりたいものです。
偶然の出会いはその人の人間性が素直に伝達させてくれて、日常に交流されていることとは違った表情をしていたり、非常に思慮深いお顔を見ることがあったりして、声を掛けづらいときもあるのです。
昨日と同じように北風が容赦なく厳しく吹き付けるなか、愛犬と一緒に川土手の道を完全防寒の姿で歩いていたのですが、毛糸編みの帽子でも北風の冷気が浸透してきて、寒いと言うよりは体温を奪われる厳しい冷気でした。
川面を渡ってくる風からは気温を更に低くする要素があって、体温が一層奪われてしまい、肌を刺す痛さを感じながら愛犬との散歩をしたのですが、すれ違った老人が腰を屈めて今にも止まってしまいそうに歩く姿が痛々しく観えました。
一週おきに家人の実家を訪ねているのですが、いつも同道させる愛犬の散歩のために、北風の強風の中をものともせずに川土手を歩いたのですが、顔を寒風から守るようにさせて身を護るように散歩をしてきたのです。
昨年に怪我をしてから、リハビリのために施設にご厄介になっている義母の励ましのために、一週おきに夫婦して訪問をしているのですが、帰路に家人の実家によってくることが慣習になっています。
同道した愛犬の散歩のために、近所を散策することが習慣になっているのですが、まれに見る冷気の強風が、散歩を戸惑いさせるのですが、自身のリハビリのためにもと信じて、散歩を鼓舞させてしまいます。
そんな時に出会った身を屈めて危なかっしく歩く老人に、この寒風の中で無理に散歩も無いだろうにと同情をしてしまい、一人問答で心配をしていたのですが、一時間ほどの散歩から実家に戻ることができました。
帰路の車の中での話題で家人から伝え聞いたことですが、岳父が川土手で出会った2匹の犬を連れた初老の人がみすぼらしく観えて、寒い風に吹かれて実に気の毒に見て取れたことを話したそうです。
寒風の中で腰を屈めて歩いていたのは岳父であることが判明して、人情味をもって哀れんでくれたことは、実に実に滑稽であり微笑ましい話題となりました。
親子揃って、毛糸編みの帽子を被った完全防寒具での身なりでは、お互いが判別できない同士で細い川土手の道を通り過ぎていたわけです。
暫し滑稽な話題で盛り上がってしまったのですが、世の中の流れや綾とは意外でなく、こうした出会いのすれ違いの不連続で構築しているのかもしれません。
袖振り合うも他生の縁と言う諺がありますが、日常の生活の中とはきっと様々な出会いが用意されているのでしょうが、小才は縁に出合いて縁に気付かず、中才は縁に気付いて縁を生かさず、大才はそですり合うだけの縁をも生かすことかもしれません。
果たして自分は小才なのか、中才なのか、大才なのかも判断がつきませんが、機敏な感覚だけは高い意識を持って大才の人になりたいものです。