穏やかなお正月風景も二日目となると日常の様子が際立ってしまい、神社仏閣のほかでは、お正月の風情がまったく気にならない街の様子が伺えました。
子供のころのお正月と言えば、お年始参りの正装した人々が街を行き来して、街中には背丈以上もある松と竹が道路を隠すように林立して、道路両端の店先から門松が存在感をみせていたものです。
松の内の間は、いやがうえにも厳かな様相に接しることができて、来客があるごとに緊張する年始の挨拶がされましたが、子供としては貴重なお年玉を頂ける、大きな期待感と喜びがありました。
お正月用に買ってもらったばかりの衣装をぎこちなく身につけて、着慣れないおろしたての衣装に戸惑いをもちながらも、少し大人ぶった感覚を併せ持って、のりの効いた新調の服装が嬉しくて、際立って喜んでしまったものでした。
今日年始の挨拶に尋ねた家人の実家では、一緒できた姪の子供も特段の感動もなくて、親類の家族と一緒の賑やかさに遭遇する中で、お年玉を頂ける感激だけの喜びようは、時代を超えての現金の力に変わりがないことを知りました。
家人の実家は比較的広目の屋敷に生活をしている関係で、大勢の歓談の場には何不自由がなく、家人三姉妹の家族と子供達が気楽に集うことができ、正月のひとときを楽しく過ごすことができたのでした。
時代背景や、家庭での躾等々の社会現象が変遷しているなかでは、親子も親類の小父や小母にも見境がなく、まったく気を遣うことなく言葉遣いや態度でいれることが幸せなことなのか、ちょっとばかり難しい判断をさせられてしまい、年長の小父の立場としても難しい現象の解決策に気をもんでしまいました。
自由闊達な今の時代のなかでは、親子関係が友人や仲良し仲間として存在してしまい、人間関係を構築されてしまっていることを察知すれば、大人側の言葉遣いや態度が子供の立場に合わせてしまっている世情に、強い責任を求めてしまうのです。
時々テレビ等で見せられることですが、学校内でも生徒が先生に向かって友人と同じ立ち居地で会話をしている姿を知って、驚きと情け無い思いをしていたことを思い出します。
家族が気さくに語り合える環境は、とても大事なことと思うし、そうあることが望ましい姿であることを理解するのですが、メリハリの節度と謙虚な立場を心得る指導は、とっても大切な家庭内教育だと信じています。
何事にも、とかく学校教育に転嫁をしがちですが、人間の情緒とか躾に関しては、親が子を修練する家庭での教えごとが最優先するし、まずは親が親としての役割と威厳を示すべきではないかと思います。
子は親の姿を見て育つことは間違いなく、親は親としての責任と強い指導を心得る中から、素晴らしい家族関係や親類関係が構築されてくると思っています。
親類縁者が揃う家族関係の中でこそ感化されるもので、言葉遣いや礼儀を知り学ぶ子供心が養われることを、これからの時代背景の中で少しでも実践できればと願ってしまいます。
子にこびる大人の責任の大きさを再確認しながら、世の宝である子供たちのよき指導者
であるべきことを、もっともっと強く自覚をする必要があることを気付かされていますし、自分自身の反省をしっかりとしているところです。
親類縁者の中にこそ、威厳をもった小父さんに憧れる存在を誇示させてみたいと、少々自惚れてしまったことは、自身が反省と叱咤をしなければいけないことです。
子供のころのお正月と言えば、お年始参りの正装した人々が街を行き来して、街中には背丈以上もある松と竹が道路を隠すように林立して、道路両端の店先から門松が存在感をみせていたものです。
松の内の間は、いやがうえにも厳かな様相に接しることができて、来客があるごとに緊張する年始の挨拶がされましたが、子供としては貴重なお年玉を頂ける、大きな期待感と喜びがありました。
お正月用に買ってもらったばかりの衣装をぎこちなく身につけて、着慣れないおろしたての衣装に戸惑いをもちながらも、少し大人ぶった感覚を併せ持って、のりの効いた新調の服装が嬉しくて、際立って喜んでしまったものでした。
今日年始の挨拶に尋ねた家人の実家では、一緒できた姪の子供も特段の感動もなくて、親類の家族と一緒の賑やかさに遭遇する中で、お年玉を頂ける感激だけの喜びようは、時代を超えての現金の力に変わりがないことを知りました。
家人の実家は比較的広目の屋敷に生活をしている関係で、大勢の歓談の場には何不自由がなく、家人三姉妹の家族と子供達が気楽に集うことができ、正月のひとときを楽しく過ごすことができたのでした。
時代背景や、家庭での躾等々の社会現象が変遷しているなかでは、親子も親類の小父や小母にも見境がなく、まったく気を遣うことなく言葉遣いや態度でいれることが幸せなことなのか、ちょっとばかり難しい判断をさせられてしまい、年長の小父の立場としても難しい現象の解決策に気をもんでしまいました。
自由闊達な今の時代のなかでは、親子関係が友人や仲良し仲間として存在してしまい、人間関係を構築されてしまっていることを察知すれば、大人側の言葉遣いや態度が子供の立場に合わせてしまっている世情に、強い責任を求めてしまうのです。
時々テレビ等で見せられることですが、学校内でも生徒が先生に向かって友人と同じ立ち居地で会話をしている姿を知って、驚きと情け無い思いをしていたことを思い出します。
家族が気さくに語り合える環境は、とても大事なことと思うし、そうあることが望ましい姿であることを理解するのですが、メリハリの節度と謙虚な立場を心得る指導は、とっても大切な家庭内教育だと信じています。
何事にも、とかく学校教育に転嫁をしがちですが、人間の情緒とか躾に関しては、親が子を修練する家庭での教えごとが最優先するし、まずは親が親としての役割と威厳を示すべきではないかと思います。
子は親の姿を見て育つことは間違いなく、親は親としての責任と強い指導を心得る中から、素晴らしい家族関係や親類関係が構築されてくると思っています。
親類縁者が揃う家族関係の中でこそ感化されるもので、言葉遣いや礼儀を知り学ぶ子供心が養われることを、これからの時代背景の中で少しでも実践できればと願ってしまいます。
子にこびる大人の責任の大きさを再確認しながら、世の宝である子供たちのよき指導者
であるべきことを、もっともっと強く自覚をする必要があることを気付かされていますし、自分自身の反省をしっかりとしているところです。
親類縁者の中にこそ、威厳をもった小父さんに憧れる存在を誇示させてみたいと、少々自惚れてしまったことは、自身が反省と叱咤をしなければいけないことです。