お会いするたびに頭を低くしながら、申し訳ないように言い訳をする癖のある先輩がいて、突然愚痴を言われても、どう対応をしたらいいのか分からないのですが、その先輩とすれば私の顔をみると、即情況を伝えなければいけないように、自身のスイッチを入れてしまっているようです。

おそらくは、いつも生活環境を同じくしていることで、気になる事の情況を、自分ながらの考慮や心配をしている結果として、問わず語らずの自問自答をしているのだと推測してしまいます。

一人問答を繰り返えす相手として、対話の相手に想定してくれるのはありがたいことですが、いろいろ問答を繰り返えすことがあるとは、よっぽど相性が良いのか、想定相手にする不足が無いのか分かりませんが、最近になって同じパターンで声を掛けられることが多くなりました。

午後にあったお仲間の葬儀の帰路に、JRのホームでばったり顔を合わせた先輩が、間髪いれずに口に出たことが、同じく席をおく同好会の運営の進言でした。

問いかけられる内容には、理解をすることが出来るのですが、情況を伝達してくれるだけでは何の解決にもならなくて、同好会の中では立派な知識と経験がおありの先輩なのですから、反対意見にも聞き耳をもって、総合的に判断をした進むべき道筋を示してほしいものと願っています。

世の中とは人がいるだけで、その人の数だけ意見百出するものが自然ですから、反対意見があっても極自然のことですし、組織の一員であるのでしたら上手に活用をして、所属する同好会の運営をスムースにさせ、参加する皆さんが了解と賛同を得やすいようにすべきだと思っています。

先輩の愚痴をお察しするところですが、違う意見を持った仲間を集めてしまいやすい環境があって、そのグループ内で意見を精査するだけの、思い遣る心の余裕がないものですから、勝手な意見が出やすいのだと憶測をしています。

だれしもが、満物に深い理解をしているわけでなく、人様との交流を深める経験と共に、一層人間味が深まってきて、相手を思い遣れる余裕をもって、対等に会話が出来てくるものであるものだと理解をしてしまいます。

先輩の動向を自分に置き換えてみても、先輩がいてくれるからこそ、多面的にものを観察できる能力が養生できているわけで、先輩の悪癖を毛嫌いすることなく、自身を観る鏡として活用する度量を持ってもらいたいと念じています。

一人悶々と悩んで思考をしていると、自分の意識を人に伝えて反応を知ってみたい気になってしまうことは間々ありますが、即実践する意識が希薄なために、どうしても自問自答するままに終わることが多い自分です。

その結果としてなのか、余計な時間が掛かった分のご褒美として、良く熟慮した答えが熟成させることができる学びとりができました。

意見を言うことは比較的簡単なことですが、深い事情という問題があることを理解すればするほど、安易で軽薄な返事ができなくなるもの
です。

背景にある組織とか人間関係を精査して、問題の根本を見つめ直しての意見参加が、正しいものであると理解をすることが出来るようになりましたのも、拙速を反省して一呼吸をおける間合いを身につけたからです。

言葉の端端にかもし出される人格と品格とは、相手の心の中にどれほどの思い遣りの温かさを伝道できるかだと、一人静かにして自身に問いかけてみるのでした。