誰でも何事においても自分が一番可愛いものですから、自己保身にはいることは当たり前のことになりますが、ことあるごとに人様の性にする、ある面姑息な方がいることも、事実としてあるように見受けられます。

良いことが上手く運んでいるときには、その起因は自分が行ったことをアピールする人、反対に悪い結果になった時には、完璧に他人様の性にする卑劣な方がいます。

更に悪いことには、その模様を第三者にも公の場で語る人もいて、世の中の価値観とはおもしろいもので、善悪の基準も人がもつ懐の大きさに関係があることを、いろいろな場面で伺うことができます。

今日の午後にみえた営業担当の方が、仕事を終えた後での雑談のなかで、営業先で伺う場所場所で聞かされる愚痴は結構多くあって、必ず他人さまへの誹謗中傷が多くて、聞く側になっても辛いものですと、少々笑いながら伝えてくれました。

特に自分に都合が悪い結果となったときに、時代が悪いだとか、ある人が悪いだとか、自分のすべては非難される事がないように誇示されると、信用がもてないと嘆いておりました。

自分に置き換えて考えてみても、とにかく自分の弱点で起きた現象のことを、人様の責任に転嫁をさせてしまいがちなことを、十分に反省をしておくことを自認すべきと自戒をしています。

こうしうた認識に違いがあることは、人がもつ礼節さに関係してくるのだろうと信じてていますし、しっかりと周りの空気をよめることを自覚して、常に謙虚でいれることを学び取る必要があります。

特に責任を持つ立場になればなるほど、人を立てることも必要ですし、自己主張を抑えていくことを知るべきことです。

組織の中でも同じことが言えて、責任者になったから何でも独断でできると思われては、その仲間達が悲惨になってしまいます。

身の周りにいる後輩に当たる重役の方なのですが、時々気になる言動がある時にアドバイスをメールで配信して、何かの役に立てるのではと思って、善意の行為で何度か配信を送ってあげました。

比率的には一割でしょうか、忘れてしまうほど、呆れるほど、責任者としての自覚や責任が感じられないことがありましたし、何よりも善意のアドバイスを受け取りながら、そのお礼の言葉を受けたことが記憶にないほどです。

あえて、こちらから言葉は出しませんが、一言お礼の言葉を伝えてくれることが、どんなにか信頼関係を構築させてくれることでしょうか。

人間としての基本中の基本である、礼節さえも忘れてしまっては、傲慢な人としてか評価ができない残念さがあります。

どんなにか秀でる能力があっても、いつでも平らな心でもって素直な心でもって、他人を立ててあげる配慮が必要だと思っています。

人を責めないこと、人を奉ること、人を褒めること、人に感謝をすること、人を喜ばせること、できるだけ滅私のこころを大切に
して、生きる喜びを共有していける努力をしていこうと思っているところです。