日曜日の静けさの午後に、ぬけるような紺碧の秋空を満喫しながら、爽やかな空気を心地良く身体中にふれさせて、まっとりした時間を楽しむことができています。
こうした豊かな時間に、心中に重く圧し掛かる仕事の問題が少しでも軽くなってくれるのなら、暖かな陽射しが一層嬉しく受止めることができると確信できるのですが、まだまだ与えられた難儀の役割を果たす時なのでしょう。
廊下で日向ぼっこを満喫している、二匹の愛犬の安心しきった寝姿に、少々憤慨を覚えながらも、自らの未達の仕事を捗らせているところです。
毎朝に仏壇の前で朝の参拝をしているのですが、先祖の命日を銘記してある過去帳の日付を毎日開ける時に、代々先祖の流れを知ることとなり、脈々と繋がる代々のお陰を知って、改めて生きていれる存在意義を重く受止めてしまいます。
手を合わせて一日の御加護やお導きを願っているうちに、菩提寺から頂いてあった心得帳のなかにあった、般若心経を称えるようになりました。
それこそ見よう見まねの振り仮名を読んで始めたのですが、節回しが良く分らない為に、今のところは自己流の声明をして誤魔化しているところですが、なかなか上達はしないものです。
門前の小僧経を覚える諺ではありませんが、毎日の繰り返しのなかで、般若心経から学びとる気付きごとがあって、日々修練の良き機会になっています。
できるだけ神様や御仏の御加護を頂きながら、できる範囲で頑張りを果たしていこうと念じている毎日ですが、神仏に縋るだけでなく、もっと現実的な行動に結び付ける必用があることを信じているのですが、自己能力の幼稚さばかりが反省させられます。
自分のもつ能力の意気地なさを知っていますので、自然と神仏を崇拝して縋っている自分に懸念をもっているのですが、困ったときの神頼み、仏頼みは天人も快く許してくれることに間違いないと思っています。
この世の中は、その人に具わった生き方があるもので、あえて無理をする必要がありませんが、精一杯生きる役目は忘れなく、こうした愚痴も少なくしていかなければと、強い自覚をもっているところです。
秋晴れの日に、意思の弱さが露呈している日々になっていますが、剛毅さだけでも生きていくことができなく、世の中の温かな人情に支えられて、世の中に甘えさせて頂ける享受を至宝とさせて抱き続けたいものです。
かつて持ち合わせてあった傲慢さがすっかり蔭を落としてしまい、謙虚な心情と人様への謙譲とさせる心得が本物らしく醸成してきたと自認した今こそ、元気快活な自己表現を許してもらえる免罪符
が手にできたことと信念をもっています。
心にすることは、世の中にどの様にして恩返しをしていくかを、陰徳をもって粛々とできるように、毎朝の神仏への参拝は、気合を入れて真摯に修練を重ねていこうと念じます。
こうした豊かな時間に、心中に重く圧し掛かる仕事の問題が少しでも軽くなってくれるのなら、暖かな陽射しが一層嬉しく受止めることができると確信できるのですが、まだまだ与えられた難儀の役割を果たす時なのでしょう。
廊下で日向ぼっこを満喫している、二匹の愛犬の安心しきった寝姿に、少々憤慨を覚えながらも、自らの未達の仕事を捗らせているところです。
毎朝に仏壇の前で朝の参拝をしているのですが、先祖の命日を銘記してある過去帳の日付を毎日開ける時に、代々先祖の流れを知ることとなり、脈々と繋がる代々のお陰を知って、改めて生きていれる存在意義を重く受止めてしまいます。
手を合わせて一日の御加護やお導きを願っているうちに、菩提寺から頂いてあった心得帳のなかにあった、般若心経を称えるようになりました。
それこそ見よう見まねの振り仮名を読んで始めたのですが、節回しが良く分らない為に、今のところは自己流の声明をして誤魔化しているところですが、なかなか上達はしないものです。
門前の小僧経を覚える諺ではありませんが、毎日の繰り返しのなかで、般若心経から学びとる気付きごとがあって、日々修練の良き機会になっています。
できるだけ神様や御仏の御加護を頂きながら、できる範囲で頑張りを果たしていこうと念じている毎日ですが、神仏に縋るだけでなく、もっと現実的な行動に結び付ける必用があることを信じているのですが、自己能力の幼稚さばかりが反省させられます。
自分のもつ能力の意気地なさを知っていますので、自然と神仏を崇拝して縋っている自分に懸念をもっているのですが、困ったときの神頼み、仏頼みは天人も快く許してくれることに間違いないと思っています。
この世の中は、その人に具わった生き方があるもので、あえて無理をする必要がありませんが、精一杯生きる役目は忘れなく、こうした愚痴も少なくしていかなければと、強い自覚をもっているところです。
秋晴れの日に、意思の弱さが露呈している日々になっていますが、剛毅さだけでも生きていくことができなく、世の中の温かな人情に支えられて、世の中に甘えさせて頂ける享受を至宝とさせて抱き続けたいものです。
かつて持ち合わせてあった傲慢さがすっかり蔭を落としてしまい、謙虚な心情と人様への謙譲とさせる心得が本物らしく醸成してきたと自認した今こそ、元気快活な自己表現を許してもらえる免罪符
が手にできたことと信念をもっています。
心にすることは、世の中にどの様にして恩返しをしていくかを、陰徳をもって粛々とできるように、毎朝の神仏への参拝は、気合を入れて真摯に修練を重ねていこうと念じます。