誰が見ても高齢で足腰が弱っている男の方が、背中に大きなリックサックを背負って、両手は折りたたんだ車椅子をもって、一歩一歩ゆっくりとバスから降りてきました。
誰からの見た目にも大変さが分って、お手伝いをしてあげるべきとは理解ができても、事情が分からないままでは、支援の仕方も分りませんでした。
昨日に引き続き病院に行く為に、JR駅で私鉄のバスに乗り換える為に、バス待ちの乗客の行列に並んでいまして、定刻ぴったりにバスが到着した時に、降車口から降りてきる最後のお客さんが、リュックを背負い車椅子をもった老人でした。
乗車口の列に並んでいた身を乗り出して、暫し観察をしていましたら、車椅子をセットしてから乗車し直して、足が不自由な奥さんを抱えながら、漸くの足取りでバスから降りようとしていました。
観るからに抱える力が足りないのでしょうか、二人が今にも倒れるような仕草で、精一杯歩こうとするのですが、ここが限界と判断して、列から離れて奥さんの両脇を抱えて、車椅子まで補助をしてあげました。
小柄な身体の方でしたが、ご自身の身体も支えることができない分一層重く感じて、今から病院に向う半病身とすると、体力の限界までお手伝いをすることになりました。
なんとか車椅子にたどり着くことができても、確りと固定して座ることができない身体を補助してあげたのですが、介護を受ける奥さんも介護をするご主人もお手伝いをする身も、その姿を観るだけでなんとも痛ましいものでした。
傍目から観ると、何故タクシーを利用できないのか、土曜日であればお子さんが手伝ってくれるのではないか、等々をバスに揺られながら考えてしまいました。
それにしても大きなリュックを重そうに担いでいたご主人は、何を入れていたのでしょうか、重い荷で自身を思うように動かすことができない身をもって、不自由な身体の奥さんを介護しては、お二人はどんなにか辛い思いをしていることでしょう。
それぞれにもつ家庭の事情までは詮索できませんが、高齢化社会の一端を垣間見るについて、義母が暮らす施設の近代的で無機質さの輝きも気になるところです。
間もなく同じような高齢に近付く我が身を思っても、いつかは身体が自由に動かない時になって、どのような手助けを適所に得ることができるのでしょうか。
元気なことが一番ですと言うことは、いとも簡単なことですが、いつ何時か何が起きるかもしれない生身の人間では、生きることの意味合いと、生き甲斐をもって介護も無く確りと生活をすることを願うばかりです。
施設に入って介護を受ける義母のような身が幸せなのか、身体が不自由でも世間の介護を享受しながら、世の中を車椅子で移動する身が幸せなのか、リュックを背負った老夫婦を監察しただけでは分りません。
縁をもってすれ違った老夫婦は、とっても仲がいい幸せなお二人なのでしょうが、介護が必要な時に必用な方が居ないことも、此の世の中の常のことですので、心配することは限りなくあります。
野暮に思っている今この時間には、きっと二人して新幹線に乗って、観光地でゆっくりのんびりと、温泉に浸かって語り合っていることを確信したいものです。
両脇を支えて車椅子までお手伝い
した身とすると、介護の愛情を受止めることができたのか、どれ程の介護評価をしていただけるのか、是非今後の参考に教えて頂きたいものですし、何時までもお元気に夫婦円満な余生を送って欲しいことを願ってしまいます。
誰からの見た目にも大変さが分って、お手伝いをしてあげるべきとは理解ができても、事情が分からないままでは、支援の仕方も分りませんでした。
昨日に引き続き病院に行く為に、JR駅で私鉄のバスに乗り換える為に、バス待ちの乗客の行列に並んでいまして、定刻ぴったりにバスが到着した時に、降車口から降りてきる最後のお客さんが、リュックを背負い車椅子をもった老人でした。
乗車口の列に並んでいた身を乗り出して、暫し観察をしていましたら、車椅子をセットしてから乗車し直して、足が不自由な奥さんを抱えながら、漸くの足取りでバスから降りようとしていました。
観るからに抱える力が足りないのでしょうか、二人が今にも倒れるような仕草で、精一杯歩こうとするのですが、ここが限界と判断して、列から離れて奥さんの両脇を抱えて、車椅子まで補助をしてあげました。
小柄な身体の方でしたが、ご自身の身体も支えることができない分一層重く感じて、今から病院に向う半病身とすると、体力の限界までお手伝いをすることになりました。
なんとか車椅子にたどり着くことができても、確りと固定して座ることができない身体を補助してあげたのですが、介護を受ける奥さんも介護をするご主人もお手伝いをする身も、その姿を観るだけでなんとも痛ましいものでした。
傍目から観ると、何故タクシーを利用できないのか、土曜日であればお子さんが手伝ってくれるのではないか、等々をバスに揺られながら考えてしまいました。
それにしても大きなリュックを重そうに担いでいたご主人は、何を入れていたのでしょうか、重い荷で自身を思うように動かすことができない身をもって、不自由な身体の奥さんを介護しては、お二人はどんなにか辛い思いをしていることでしょう。
それぞれにもつ家庭の事情までは詮索できませんが、高齢化社会の一端を垣間見るについて、義母が暮らす施設の近代的で無機質さの輝きも気になるところです。
間もなく同じような高齢に近付く我が身を思っても、いつかは身体が自由に動かない時になって、どのような手助けを適所に得ることができるのでしょうか。
元気なことが一番ですと言うことは、いとも簡単なことですが、いつ何時か何が起きるかもしれない生身の人間では、生きることの意味合いと、生き甲斐をもって介護も無く確りと生活をすることを願うばかりです。
施設に入って介護を受ける義母のような身が幸せなのか、身体が不自由でも世間の介護を享受しながら、世の中を車椅子で移動する身が幸せなのか、リュックを背負った老夫婦を監察しただけでは分りません。
縁をもってすれ違った老夫婦は、とっても仲がいい幸せなお二人なのでしょうが、介護が必要な時に必用な方が居ないことも、此の世の中の常のことですので、心配することは限りなくあります。
野暮に思っている今この時間には、きっと二人して新幹線に乗って、観光地でゆっくりのんびりと、温泉に浸かって語り合っていることを確信したいものです。
両脇を支えて車椅子までお手伝い
した身とすると、介護の愛情を受止めることができたのか、どれ程の介護評価をしていただけるのか、是非今後の参考に教えて頂きたいものですし、何時までもお元気に夫婦円満な余生を送って欲しいことを願ってしまいます。