その人を信じてその人に意思を伝えて、様々な事項が理解をされて、上手く伝達されていろいろなことについて、話し合いがされていることを知っています。

先日のことですが、知り合いから伝達事項を預かる形で、うけた伝言を、メール利用して関係者の皆さんに伝達をしました。

内容は、会合日に合わせて講演者の派遣依頼があって、準備をしていたのですが、諸般の都合によって、約束の会合日には講演者の派遣ができなくなりましたとのことでした。

ついては別の日に改めて再度派遣しますので、新たな日取りを決めて下さいとの提案も含めて依頼文を作成しました。

ここまでの説明を聞いた時点で、気心の知れた相手の方でしたので、派遣予定講師の代わりとして、是非代行講師役を引き受けてくださいと、再度知り合いに懇請をしたのですが、知り合いも講師役として日程が入っていて、どうしても別の日を組んでほしいとのことでした。

ここまでを確りと理解した心算で、講演会の責任者である方々三名に対して、同じ文面の事情説明のメールを配信したのですが、お盆休みと完全に重なってしまい、それぞれがメールをみてくれたことが今朝のことのようでした。

講演会は目の前の明日になっているのですが、午後になって先の知り合いから連絡が入って、後援者がいなければ自分が出席してくれることを伝えてくれました。

決定する権限が無い身ですので、早速この旨を講演会の責任者に連絡をして、判断を仰いだのですが、担当する責任者からの推薦もあって、自動的に代役が決定されたことを伝えられました。

直接用件を受けた当人同士からはなれてしまい、他の方の知り合いを通して話が決まったことを推察すると、結果は喜ばしいのですが、伝達役を担った身からすると、善意の梯子を外されてしまった思いをしています。

起承転結の経過をメールをみることで理解できるのですから、せめても、知り合いと伝言を受けた二人の立場を擁護してほしいものと感じています。

話の流れとしても伝達者の立場を考慮して、先ずは経過の了解をさせてから、知り合いも、責任者も経過説明をして欲しかったことです。

親切心で行なったメール伝達行為が、なんの意味も無い立場にさらされてしまっては、少々役不足を自認するにも、悲哀だけが残ってしまっている残念な思いがします。

どこで話が決まったのかは分りませんが、情報が錯綜してしまい、伝達能力に欠けていたのかもしれないことを、大いに反省しながら、自身の学びごととして納めています。

人の本意を汲み取ることの大切さと、難しさを味わっているところですが、それぞれの立場と立場に居る人が、自己表現を意識して我量の誇示に走ってしまい、自己顕示を意識したが為の好い加減さであることを知っています。

礼節をもった推測で思っていること
なのですが、自己の存在をアピールしたいがために、すべてに情報操作を得がたい自分勝手な人もいる事実を知って、仲間のことだけに寂しさが募ってしまいます。