午後の事務所に突然従兄弟の訪問をうけて、仕事で近くに来たから顔を出しましたと、本人はいたって長閑な顔をしながら、暫しのんびりと雑談をしていきました。

子供のころは、母親の実家ということで、実に頻繁に出入りをしてくれて、ほぼ自分の家のようにして育ってきた経緯があります。

ほんの幼いころには共通の祖父母を頼ってきてくれ、なにかと家族以上の待遇をうけて、寝泊りする暮らしをしていましたが、両親がいる身の私のほうが萎縮をするほどで、いつも気が治まらないままに、蔭になって子供ごころを過ぎしてきました。

自分が住む家の中で、勝手気ままに過ごす従兄弟達を見ながら、その時の精神状態とは、子供心にも欲求不満のストレスがあったのでしょうか、こころが小さく閉鎖的になってしまい、大らかさの欠けてしまったような気がします。

ごく近所に住んでいることもあって、年下の従兄弟3人が常時出入りをしていて、休みには定期的に親の実家に同居するようにして、学校にも通っていた時期を記憶するほどで、祖父母からすれば可愛い外孫を弱愛して、内孫を厳しく躾けてくれた気がします。

お小遣いの配分も、せがまれるほどに祖父母から外孫に優先されて、高額を手渡していましたし、内孫の身では両親から小額を手渡されていたのです。

祖父母が厳しく躾をしない分、我が儘顔に生活をするのですが、我が身は祖父母も両親も厳しい躾けの中で、内孫の身としては遠慮がちになって、自由さえ遊ぶことさえ悩んでしまったようです。

そんな遥か遥か昔の思いでは、当の従兄弟は忘れ去ってしまったように、いまでも気軽に立ち寄ってくれるのですが、被害者妄想的な立場を経験している身としては、顔をみながら話をするうちに、忘れていた半世紀前の記憶が甦ってくるものです。

当然のことですが、初老の今の時期になっては、お互いになんの蟠りも無くお付き合いしているのですが、気楽に立ち寄れる身と気構えをしている立場の環境は、子供のころとまったく変化が無いように感じてしまいます。

他所さんの所帯を面倒見る余裕は一切ないのですが、それでも一族の身を案じて、親類縁者のご機嫌を伺ったりして、祖父母を守る立場に居る身としては、いろいろと外交辞令をすることも大きな役割に思ってしまいます。

従兄弟二人の顔には幾つもの皺が重なっていますし、髪の毛には白いものが増えていますし、まったくの初老を感じさせているのですが、子供のころに気を遣いすぎた分、内孫はいつまでも身構える術を身に付けてしまったようです。

今になっては、それぞれが親から子への世代交代がされていますが、祖父母になった従兄弟は、二人の孫の訪問を楽しみにしている様子ですが、昔自身の経験が活かされているのでしょうか。

内孫と外孫への手厚さは差をつけているのでしょうか、子供のころの立場が逆になっている現在を懐古しているのでしょうか、聞いてみたい興味があるのです。

本人を目の前にしては、さすがに大人気なく思ってしまい、ついつい、聞きたいことが素直に口に出来ない理不尽さは、やっぱり子供のころの偏見が残っている
のかもしれません。