韓国にいらっしゃる方と地元にいらっしゃる方の、それぞれの先達お二人が、今回の闘病に際して、本当に親身になって心配をしてくださったことが、改めて嬉しく心から感謝をしているところです。

お二人から、ときには毎日のようにご機嫌麗しい便りをいれてくださり、過分すぎるご心配をしていただいたことは、改めて思うことですが、赤い糸的な深いご縁があるからだと信じてしまいます。

そんな韓国の先達から、静養の為に韓国・済州島に行きましょうと、再度のご案内の手紙をくださり、その文面を読みながら、84歳の大先達から、何故もこうして手厚い好意を受ける身になっているのか、信じられない程の思いをしてしまいます。

長い手紙に書かれた文面には、年齢を感じさせないエネルギッシュさがあり、心身に余裕がある人とは、こうした文字を書かれるのかと、なんども凛とさせて繰り返して読みふけるほどです。

親切にも、済州島のコンドミニアムに長期の滞在をして、心安らかに健康回復をされて欲しいと、余りにも破格のご招待案内があり、嬉しいことよりも躊躇をさせてしまいます。

一方、地元にいらっしゃる先達も、つい先日には、たまにはお茶でも飲もうと誘ってくれて、丁度中間地点のファミリーレストランで落ち合って、楽しいランチをご馳走させて頂きました。

ランチタイムでざわつき賑わう店内も、すっかり空席が目立つくらいの時間帯まで、なにかと先達のお話を聞く役に徹していたのですが、この時にふと脳裏をよぎったことは、先達の言い分を聞き入れることが、少しでも御役になっていることと理解ができたのです。

韓国と地元の先達もよくよく探ってみれば、外見的に孤高すぎるが故に、周りにいる方々が距離感を置いて遠慮をしてしまい、身近に寄りきれなく打ち解けないでいて、気楽なお話ができないと言うよりは、胸襟を開いての雑談が出来ていないことを知りました。

ごく親しく信頼できる友人が、身近にいらしゃらない結果として、いつも心の中に寂しさの不満と不安が同居して、不安定な精神状態から解放すべきと、聞き役に適する我が身を利用してくれている気がしたのです。

もしも、孤高が故の寂しさを晴らすための、そうした思いが一致するのであれば、それはそれで、十分に私自身も納得できることですし、ありがたく応対をさせてもらいたいものだと考えるのです。

力量をもって自信たっぷりに、幅広く世間で活躍をされている方ほど、とかく孤独になってしまう立ち位置があって、寂しがり屋が多くいることを知ればこそ、そのための心構えをもってあげることだと思います。

一見無責任なことなのですが、適当適度な受け答えで聞き流せることが出来ることが、少しでも孤高の方のストレスが解消できるのであれば、多少の卑怯さがあっても許容される範囲と信じます。

最善な敬意をもってお付き合いさせて頂く仲で、募るお話をじっくりと聞き入れてあげる好意
こそが、二人の先達の心地良さとなるとすれば、心をこめてお守り役の技量を、大いに発揮する必要があると思っております。