ここのところ定期的に東京に行っているのですが、車の時もあれば電車の時もあって、ほぼ1時間の移動時間の有効活用が違ってきます。
電車であれば、着座が条件なのですが、じっくりと資料に目を通したり、好きな読書をするか、睡魔にまけて暫しの午睡が決まりなのですが、車の場合は、移動時間が未確定と、渋滞等の交通環境によって、車内の様子が大きく違ってきます。
運転時と後部座席に座っていることの割合が、ほぼ半分の現状の中で、後部座席でほぼ集中して物事に励めたり、パソコンを弄れることが、東京までの時間経過が早すぎるほど、大いに効果があるように思っています。
新幹線にしても、飛行機にしても、単独の移動時の空間利用の我が儘は、最高に効果的で自身が納得できる満足の時間となってくれます。
今日は家族が偶然に東京に行く用事が重なって、たまには車で行こうと、車内が賑やかな移動空間となったのですが、それぞれが冷房の設定温度が納得できなくて、口々に勝手な言い分をすることから、家族の我が儘の言い分が始りました。
仕事のことから家庭のことまで、様々色々に話題がでて来るのは好いのですが、結果的に全ての責任が寄ってきてしまい、車の中では、まさか知らん振りして逃げることもできなく、結局は言いなりに、懺悔の受身を取り繕うことになるのでした。
こんなときに限って、車のスピードも落としていて、とにかくじっくりと家族会議になってくれたことは間違いなく、叱責されている受身の立場も辛いのですが、責任者の立場とすれば、逃げて済ますことではないと自覚はあるのです。
子供の成長とともに、親子として主権の場が少しずつ、子供軸に移動をしていることを実感して、何時までも親父の権威は普遍でないことが確認できました。
いつの間にか、鋭く親に意見を言うようになってくれたし、面と向って反論も堂々としてくれるし、すべてに親の不逞を見透かされてしまっています。
子供が成長してくれるということは、親の引き際が近付いているということで、バトンリレーのシュミレーションが、快活に元気良くされていることを、積極的に嬉しく受止めることが、より現実的なことかもしれません。
首都高速道路は比較的空いていて、一人静かに言葉を流し聞きしていたのですが、間もなく地下駐車場に吸い込まれて、駐車のスペースが無いくらいの混雑振りに話題が変ってくれたことで、それぞれの目的地に向って、車から降車することができました。
親父の立場は年々薄くなるのは事実で、子を思う気持ちとすれば、確りと一本立ちをして欲しいものですが、親父から引き継いだ時とは、遥かに時流がはやく複雑ですから、徹底した対話が功を奏す時代のように思っています。
親の片思いを通せる時代でもなく、とにかく徹底した討議から、進化できる何かが生まれてくるような気がするのです。
せまい車の移動空間ですが、家族が親身になって議論や討論が出来ることだけでも、小さな幸せを生める環境が受止められて、父親冥利を享受してしまうのです。
電車での高徳、車での高徳、それを利用する立場の人が、それぞれに徳を得れることを心掛けながら、とっても得がたい移動空間を、価値あるものにしたいものだと思っています。
電車であれば、着座が条件なのですが、じっくりと資料に目を通したり、好きな読書をするか、睡魔にまけて暫しの午睡が決まりなのですが、車の場合は、移動時間が未確定と、渋滞等の交通環境によって、車内の様子が大きく違ってきます。
運転時と後部座席に座っていることの割合が、ほぼ半分の現状の中で、後部座席でほぼ集中して物事に励めたり、パソコンを弄れることが、東京までの時間経過が早すぎるほど、大いに効果があるように思っています。
新幹線にしても、飛行機にしても、単独の移動時の空間利用の我が儘は、最高に効果的で自身が納得できる満足の時間となってくれます。
今日は家族が偶然に東京に行く用事が重なって、たまには車で行こうと、車内が賑やかな移動空間となったのですが、それぞれが冷房の設定温度が納得できなくて、口々に勝手な言い分をすることから、家族の我が儘の言い分が始りました。
仕事のことから家庭のことまで、様々色々に話題がでて来るのは好いのですが、結果的に全ての責任が寄ってきてしまい、車の中では、まさか知らん振りして逃げることもできなく、結局は言いなりに、懺悔の受身を取り繕うことになるのでした。
こんなときに限って、車のスピードも落としていて、とにかくじっくりと家族会議になってくれたことは間違いなく、叱責されている受身の立場も辛いのですが、責任者の立場とすれば、逃げて済ますことではないと自覚はあるのです。
子供の成長とともに、親子として主権の場が少しずつ、子供軸に移動をしていることを実感して、何時までも親父の権威は普遍でないことが確認できました。
いつの間にか、鋭く親に意見を言うようになってくれたし、面と向って反論も堂々としてくれるし、すべてに親の不逞を見透かされてしまっています。
子供が成長してくれるということは、親の引き際が近付いているということで、バトンリレーのシュミレーションが、快活に元気良くされていることを、積極的に嬉しく受止めることが、より現実的なことかもしれません。
首都高速道路は比較的空いていて、一人静かに言葉を流し聞きしていたのですが、間もなく地下駐車場に吸い込まれて、駐車のスペースが無いくらいの混雑振りに話題が変ってくれたことで、それぞれの目的地に向って、車から降車することができました。
親父の立場は年々薄くなるのは事実で、子を思う気持ちとすれば、確りと一本立ちをして欲しいものですが、親父から引き継いだ時とは、遥かに時流がはやく複雑ですから、徹底した対話が功を奏す時代のように思っています。
親の片思いを通せる時代でもなく、とにかく徹底した討議から、進化できる何かが生まれてくるような気がするのです。
せまい車の移動空間ですが、家族が親身になって議論や討論が出来ることだけでも、小さな幸せを生める環境が受止められて、父親冥利を享受してしまうのです。
電車での高徳、車での高徳、それを利用する立場の人が、それぞれに徳を得れることを心掛けながら、とっても得がたい移動空間を、価値あるものにしたいものだと思っています。