めったにご縁がないであるだろう宗派総本山の宿坊で、二日間の研修が終えたばかりですが、若き人も老いた人も、非常に難しい課題を与えられてしまったことは、生きる、と言うことについて語り合うことでした。

死者を弔ってくれるお寺での研修でもって、生きる、ことについて高僧からありがたい講和をお聴きすることができました。

体験講演をしていただいた、他地区からのロータリアンから紹介された、他国での戦時下と飢餓で死と直面している弱者を撮影した写真が、大きな反響を呼び起こして、メディア報道写真家の行動是非について、参加された方々が大きなショックを隠せないまま、人の死についての衝撃が感じられました。

今回の研修会のテーマが、生きる、と言う大きな課題と成って、若い方々がどのような反応を示すのかが大いに注目されたのですが、意外や意外に身の回りにいる友人とか知り合いが、リストカットをしたり自殺をした体験を味わっていて、何故自ら命を失うことをするのかが、自殺に対しては、皆さんが批判的であったことで安心できました。

グループディスカッションの形式は、20歳代と30歳代ライラリアン4名と40歳50歳60歳のロータリアン三名が一チームを構成して、総数160名の参加者がチームごとにコミニュケーションを図りました。

時間の制限があって思うような議論は得られませんでしたが、それでも予定時間内には結論に結びつける努力がされて、一生懸命に問題解決を図ろうとする姿勢が嬉しくもあり、非常に頼もしく感じられました。

人が生きる命の大切さについて、まさか語らい合おうとは思ってもいなかった若人達は、初対面の大人を交えた会話では、当初は億劫なものであると思ったのですが、自己主張を確りとされている姿勢に感銘を受けて、話をしたりしているうちに、現実を的確に見詰め合っている真剣さを受け取ることができました。

普段の生活空間では、あまりこうした話題をする機会がないそうで、かえって絶好の良き機会とばかりに、積極的な若者らしい現状などを情報伝達をしてくれました。

世代別に上手くチームが構成されていた関係で、ロータリアンの年代によっても、事の受止め方が違っていることも理解されて、世代価値の違いが人生観にも反映されていることを、皆が分かり合えたことだけでも有益な企画であったと思います。

翌日の解団式の前に、各チームごとに発表をしてもらったのですが、各班の代表者が立派に意見発表をしてくれて、それぞれに、生きる、素晴らしさと生きる難しさを、経験談を踏まえて力強く語ってくれました。

親子ほどの年齢差がある始めての方が集って、こうした議論ができる意義深さを知ったのですが、現状では話し合いの場がないことの不安が、様々な社会弊害を起こしているように思います。

できうるならば、寺子屋式の親子問答ができる、気楽で有益な語り場を如何に環境整備することで、世代を超えた語り部が増えてくれると信じます。

今回のような寺院が率先してくれて、宗派に関係なく、全国のお寺さんが門戸を開いてくれることで、地域社会の世代を超えたコミュニテーが盛んになって、日常から、生きる、切実な話題も意外に話題にしやすいと願ってしまいます。