心の耳心耳と心の目心眼を持ち活用しなさいと、もの静かな声で淡々と話されている姿からは、安心感を持って静寂すぎる心地良さに睡魔を感じるほどで、ふと、だれしもが人として生きる様とは、ごくごく日常当たり前の素直で謙虚な自分であることを、改めてじっくりと感じさせられました。

昨日東京であった、致知出版社記念講演会でのこと、101歳の仏教伝道師、松原泰道さんのお話の中に訊かされた、誰しもが人生の苦しみ厳しさを真に受けて、南無地獄菩薩の心を持ちなさいと提言されました。

人間の生きる社会とは、都合の好いことばかりが実現されるぬるま湯社会ではなく、日常的に厳しく辛く苦しい生活というものですが、自身が心に構える常に希望と感動と工夫の仕様によって、自分自身が磨かれて成長させることができることを話されたのです。

その日一日とはその日で終わることでなく、今日の日と迎える日々を心新たにして、毎日が新たに迎える繰り返しであることの格言として、日々新たに・日々に新たに・また日々これ新たにの、単純で新鮮な心を持ちなさいとのことを、惰性に流されない説法を教えてくれたものです。

そのためにも苦しさや厳しさから逃げることなく、真正面から受止め取り組むことで、とかく都合主義の最善を夢見てしまうことを諌めて、あえて天国でない地獄を菩薩として唱えることから、底から這い上がる勇気を身につける生活術を、しんみりと語り伝えてくれました。

そのためにも、心に耳と目をもって、静かに心を研ぎ澄ます必要がありますと、101歳の声はあくまでも静かに澄み切って聴こえてきましたし、心の耳と目は偽善が利かないのですから、自身が苦悩から耐え忍ぶエネルギーを変えて、世の中や人様に尽くすことに結びつける大切さを、律儀に説いてくたのです。

講演会の後であった懇親会の席で、松原泰道さんとご挨拶する機会があったのですが、目がしっかりと活き活きとして、慈悲心溢れる顔相が、自分が持つ世俗の、貧相な偽善心を見破ってくれているようで、何でも見透かす力は、静か過ぎるお人柄から異常に感じられるのでした。

101歳の小さな御身体からは、心温まる包容力をもって、人をひきつけ包み込んでくれる大きな感動を味わうことができ、人の持つご縁の大切さを改めて知ったところです。

この現代社会では、とかく先読みを好として、すべてに先手必勝の術を身につけることが、評価されていますが、自然な成り行きの中から自分のタイミングを待つ大切さの教えは、意外なお言葉として耳にすることができ、一つの宿題として新たに考える必要があります。

何事にも人間社会は欲があり、その欲とは強欲までのきりが無い現実を見極めて、いかに離脱できるかがその人の大きさに繋がるのだと思います。

俗世界から乖離させる為にも、欲を断ち切った真平で最低の場を認識させて、地獄に等しい難儀さを、常に得とくさせる有意義さを説いてくれたのですが、なかなか腑の中にすんなりと落としこむことが難しく、まだまだ自身の未熟さを露呈させているところです

人の世界とは循環世界だと思っている一人として、好いこと悪いことの順繰りがされていますが、最善を求めるだけの狭義社会よりも、最悪時こそ素直に認めることで、広義に耐え忍ぶ力を養生させて、心して自分が無量に生きれる姿勢に活かせたいものです。