部屋に入って直ぐに、お袋さんが眠っているそのままの寝姿が見えたとき、一瞬時間がタイムスリップしたような錯覚になってまい、その顔つきと言い髪形と言い、入院病棟で逢った叔母の姿は、懐かしい思いが一杯に沸いてきました。
昨年秋に叔母のお宅で会った時には、健康そのもので、何時ものように、笑いながらユーモアたっぷりに話すことができ、時間を忘れて世間話等に華を咲かせることができました。
農家の嫁として働き者の人生を歩んできたのですが、長姉に当たる私の母親に頼って、子供のころから、姉に頼って沢山遊んで貰う、妹の甘えを一杯経験できた方なのです。
何時も叔母の家には、自宅のように気楽に訪問させて貰い、従兄弟夫婦を交えて、時間を忘れて寛ぐことができたのですが、昨年末の未明に突然倒れられて、集中治療室で医療を受けていたのですが、意識が快復しないまま、個室の部屋に戻ったことを聞き、急遽お見舞いに駆けつけてきたところです。
一般病棟の一室のカーテンを開けたら、従兄弟夫婦に見守られて、ベッドで眠っている叔母に面会ができ、口と鼻に管を入れた姿が痛々しいのですが、顔の表情が元気に見てとれて、すぐさま、叔母さん分かりますか?、と声掛けした途端に瞼を開けて、目をみせてくれたのです。
見守る従兄弟夫婦も、一瞬信じられない顔を突き合わせて、ベッドのそばに歩を進め寄って来たのですが、表情と声をだすことができなく、病との闘いにしっかり頑張ってと、声をかけてあげることしかできないままに、息苦しさと辛さと空しさが感じとれるだけでした。
従兄弟からの説明によれば、心臓動脈が破裂寸前で、血管がぼろぼろの状態に成っていて、即集中治療室に入って、大層大変な手術となったようでした。
大きな手術にも耐えることができた命は、老いた叔母の身体には、大きな負担となったことでしょうから、長い時間を掛けながら、徐々に快復をしてくれることを、こころから一念するのみなのです。
人の持つ血の濃さは、叔母も従兄弟も理屈でない連帯感が有って、何と表現をすれば良いのか分かりませんが、身内の命を何としても護る本能が目覚めてきて、同じ空間に寄せ集ることから、一心同体の感激が沸き起こって、意識をなくした叔母の顔から、身の内としての表情が読み取れたのでした。
一生懸命になって、甥っ子に声を掛けようとしている風にも、感じられることがとても寂しくて、薄目で見られる眼力を感じ取りながら、改めて、一日も早く意識を取り戻してくれるように、素敵な笑顔を見せてくれることを、心の中から一生懸命に願っているところです。
命の尊さとは死と直面して、生死を闘っている姿を直視してこそ、理屈でない尊厳を感じることができますし、なんとか助命の本能を救い求めあって、延命の力を伝達させてあげたいものです。
若い看護師さんが付きっ切りで、心をこめて介護してくれる姿が嬉しくて、肉親以上の親切心が、従兄弟夫婦に安心感と安堵を与えてくれて、全幅の信頼をもって治療に専念できるだけ、身内の一人としても安らぎを覚えるところです。
親に甘えて、叔父叔母に甘えることが多々あったのですが、可愛がってくれて人々をお見舞いする年齢に成ってきて、老いる人性の重さと、伯父さんと呼ばれる立場になっている自身が、いまだよく納得できないのです。
今は家族中が風邪をひいてしまい、喉が痛くて食欲も無い症状に成っていますが、身内が久し振りに会うときの慣用語になっている、風邪を惹かないように気をつけてね、と注意と慰労をされてしまう役回りにきてしまったようです。
叔母の快復を祈願することをあわせながら、どんどん時代が変容していく中でも、身内は勿論ですが人様の健康に労わりを係ってあげれるだけの、豊かな人情を持ち合わせていける人となりを
、誇りをもって目指していきたいものです。
昨年秋に叔母のお宅で会った時には、健康そのもので、何時ものように、笑いながらユーモアたっぷりに話すことができ、時間を忘れて世間話等に華を咲かせることができました。
農家の嫁として働き者の人生を歩んできたのですが、長姉に当たる私の母親に頼って、子供のころから、姉に頼って沢山遊んで貰う、妹の甘えを一杯経験できた方なのです。
何時も叔母の家には、自宅のように気楽に訪問させて貰い、従兄弟夫婦を交えて、時間を忘れて寛ぐことができたのですが、昨年末の未明に突然倒れられて、集中治療室で医療を受けていたのですが、意識が快復しないまま、個室の部屋に戻ったことを聞き、急遽お見舞いに駆けつけてきたところです。
一般病棟の一室のカーテンを開けたら、従兄弟夫婦に見守られて、ベッドで眠っている叔母に面会ができ、口と鼻に管を入れた姿が痛々しいのですが、顔の表情が元気に見てとれて、すぐさま、叔母さん分かりますか?、と声掛けした途端に瞼を開けて、目をみせてくれたのです。
見守る従兄弟夫婦も、一瞬信じられない顔を突き合わせて、ベッドのそばに歩を進め寄って来たのですが、表情と声をだすことができなく、病との闘いにしっかり頑張ってと、声をかけてあげることしかできないままに、息苦しさと辛さと空しさが感じとれるだけでした。
従兄弟からの説明によれば、心臓動脈が破裂寸前で、血管がぼろぼろの状態に成っていて、即集中治療室に入って、大層大変な手術となったようでした。
大きな手術にも耐えることができた命は、老いた叔母の身体には、大きな負担となったことでしょうから、長い時間を掛けながら、徐々に快復をしてくれることを、こころから一念するのみなのです。
人の持つ血の濃さは、叔母も従兄弟も理屈でない連帯感が有って、何と表現をすれば良いのか分かりませんが、身内の命を何としても護る本能が目覚めてきて、同じ空間に寄せ集ることから、一心同体の感激が沸き起こって、意識をなくした叔母の顔から、身の内としての表情が読み取れたのでした。
一生懸命になって、甥っ子に声を掛けようとしている風にも、感じられることがとても寂しくて、薄目で見られる眼力を感じ取りながら、改めて、一日も早く意識を取り戻してくれるように、素敵な笑顔を見せてくれることを、心の中から一生懸命に願っているところです。
命の尊さとは死と直面して、生死を闘っている姿を直視してこそ、理屈でない尊厳を感じることができますし、なんとか助命の本能を救い求めあって、延命の力を伝達させてあげたいものです。
若い看護師さんが付きっ切りで、心をこめて介護してくれる姿が嬉しくて、肉親以上の親切心が、従兄弟夫婦に安心感と安堵を与えてくれて、全幅の信頼をもって治療に専念できるだけ、身内の一人としても安らぎを覚えるところです。
親に甘えて、叔父叔母に甘えることが多々あったのですが、可愛がってくれて人々をお見舞いする年齢に成ってきて、老いる人性の重さと、伯父さんと呼ばれる立場になっている自身が、いまだよく納得できないのです。
今は家族中が風邪をひいてしまい、喉が痛くて食欲も無い症状に成っていますが、身内が久し振りに会うときの慣用語になっている、風邪を惹かないように気をつけてね、と注意と慰労をされてしまう役回りにきてしまったようです。
叔母の快復を祈願することをあわせながら、どんどん時代が変容していく中でも、身内は勿論ですが人様の健康に労わりを係ってあげれるだけの、豊かな人情を持ち合わせていける人となりを
、誇りをもって目指していきたいものです。