子供の頃のお正月風景と言えば、何処のお宅にも大きな門松が飾ってあって、生まれ育った街は昔の道路のために道幅が狭く、道路の両方から大きな松の木と竹の枝が覆いかぶさってきて、いつもの道路幅が半分位になっていた記憶があります。

昔は自然保護をする必用がなかったほど、松や竹は何処にも自生した大木がありましたし、空き地とか公園の木々は、子供らにとっては絶好の木登り遊び場になっていました。

年末から年始に掛けて街中がお正月を祝い、お正月飾りも気張っていたように思えていたのですが、そのころの景気状況とか社会情勢からすると、各人それぞれが結構負担になる出費をしていたのでしょうが、律儀に伝統を継承して来ていたようです。

我が家の風習では松飾は今日までで、明日には、早くも松納めの日を迎えてしまい、お正月気分もゆっくりと味わう時間も無かったのですが、天候だけは絶好のお正月日和に恵まれて、紺碧の空から燦燦と差し込む春陽を楽しむことができました。

これほど恵まれての温暖なお正月は、ここ何年か経験することができなかったのですが、年毎ごとに温暖な正月陽気は、自然環境の破壊によるものなのかが心配ですが、暖かな冬になってくれていることは、家族揃っての健康な生活と共に、改めて感謝の気持ちが一杯の毎日になっています。

暦通りに今日から仕事初めとなって、銀行と役所に年賀の挨拶に伺ったのですが、昨年と比べても挨拶に見える方が、気持ちばかり少なく元気が無かったように思えました。

年末から連続して、経済と金融の不安な情報がマスコミから流れていますが、昨日のニューヨーク株式も、今日の東京株式も二つの市場が、景気良く大幅な値上がりをした勢いをもって、庶民の不安を払拭させてくれ、心から安心できる政治的な経済環境を構築してもらいたいものです。

会社の都合で一方的に職を外された方々が、衣食住の環境を一瞬で無にされて、冬空の寒さのなか路頭に迷う姿を見るに付け、人情として余りにも悲惨すぎる世相があります。

雇用の契約は、その主旨に則って行なわれるのが筋ですから、派遣切りでこれだけの方が無職として路頭に迷う現況からは、様々な政治課題を見せ付けてくれています。

他人事でなく、厳しい世の中の生き方とともに、何時でもお互いが助け合う人間性の、心の修練の場でもあるように思いますし、個人と国家、個人と会社の信頼関係を構築させる、思いやりの原点を厳しく見直す時期なのでしょう。

アメリカ型の契約社会に移行している世相ですが、人情や恩情をもった助け合いの精神は、いつから軽薄になってきたのでしょうか。

家庭内でも親子の絆がなくなってきている現状に、我家の親子を顧みてしまいますし、他人事でない、お互いの距離感を感じているのであれば、一歩近付き深く知り合う大切さも必用に思います

家庭内も、ご近所でも、社会でも、意外に割り切ったドライな寂しさが助長されていて、それこそが、今の社会性に合っていると、ある種のマスコミを通して広報されていると、自然とドライこそが時流なのだと、少々勘違いをしてきた反省もする必用がありそうです。

国際化が深まって益々複雑化する世の中ですが、常に相手を受け入れて、助け合い思い遣れる心の交流は、誰でもなく自身が積極的に思い行動できることですので、自ら常に学び摂る心掛けをしていきたいものです。