お正月の準備で生まれ育った氏神様にお参りに行った折、社務所のところで色々なお守りが並んでいるのに気づいて、瞬間に思いついたことが、先日お見舞い訪問した韓国の池さんに、病気快復祈願のお守りを送ってあげようということでした。
社務所の飾り棚には、各種のお守りの見本が数多く並んであって、若い方向きの見るからに楽しげなお守りが目に入ってきたり、受験生とかには魅力あるお守りを揃えてあって、時節柄人気があることを伺ってきました。
見るからにご利益がある装丁になっていて、身に付けることで、精神的にも大きな支えとなってくれる、強い味方ができることと、ちょっとしたおしゃれ気分も味わえて、それなりに人気が高いことを理解してきました。
並べてある同じような形のお守りを、一通り観終わってから、巫女さんに病気快復のお守りがあるのかを尋ねてみたら、5センチ角1センチ厚の桐箱に入った、病気退散のお守りを見せてくれました。
桐箱入りで丁寧に包装された、病気退散と書かれたお守りを手にして観て、これは必ず池さんが喜んで受け取ってくれると思い、即決で買い求めてきました。
お札の値段も手ごろでしたので、神社の名が記された紙袋にいれたまま、事務所の机の上に鎮座していたのですが、年末の仕事もひと段落した午後になって、郵便局に行って配達の手続ををしてきました。
先日に訪問できた時のスナップも数枚同封して、元気に快復される願いと新年を迎えるに当たって、すばらしい輝きの年にして欲しい旨を書き込んだ手紙も添えて、国際小包の発送を済ませることができました。
年明け早々には、韓国の池さんに配達されるでしょうが、どんなリアクションが返ってくるかが、今から結構楽しみになってきました。
人生の大先輩であり、現地のロータリンの指導者としての役割がある方ですが、84歳の高齢から来る病には、快復するまでの時間が掛かるようで、今までそばによって来てくれた方々も、徐々に遠ざかっていく様子が垣間見られるのです。
若い頃は、裕福な経済力をもって、独裁的な権力と我が儘を遺憾なく発揮させた方でしたから、それなりに取り巻きの人々が沢山居て、中には利得を享受された方がいたりして、敵対的な存在になってしまい、覇権の奪い合いをした様子を聞かされてもいました。
人は一時の栄華を味わってしまうと、なかなか普通の感覚をもって、人との接し方ができなくなることを、池さんが若い頃に少しばかり傍目で観ることができました。
お付き合いが長くなると共に、時々の栄枯盛衰の模様を体験でき、年齢が加齢するとともに足腰が弱まって、耳が遠く成りだしてから、池さんの態度にも弱さが感じられ、徐々に丸味が見え初めた記憶があります。
独善的な言い回しの蔭がすっかり消えて、電話でも手紙でも孝行爺の感じが強くなり、つい最近になってからは、逆に頼られている自分を知ることになって、今回のお見舞いやお守りの届けの心遣いができるようになってきました。
子供のようになって我が儘もあるのですが、できる事をできる時に精一杯尽くす思いもあって、積善の心境はますます強まっていくようです。
自身が納得する範囲の善行を心掛け、人とのご縁を大切にしながら、池さんの健康を見守ってあげる宿命を、淡々として粛々と果たしてみたいものです。
社務所の飾り棚には、各種のお守りの見本が数多く並んであって、若い方向きの見るからに楽しげなお守りが目に入ってきたり、受験生とかには魅力あるお守りを揃えてあって、時節柄人気があることを伺ってきました。
見るからにご利益がある装丁になっていて、身に付けることで、精神的にも大きな支えとなってくれる、強い味方ができることと、ちょっとしたおしゃれ気分も味わえて、それなりに人気が高いことを理解してきました。
並べてある同じような形のお守りを、一通り観終わってから、巫女さんに病気快復のお守りがあるのかを尋ねてみたら、5センチ角1センチ厚の桐箱に入った、病気退散のお守りを見せてくれました。
桐箱入りで丁寧に包装された、病気退散と書かれたお守りを手にして観て、これは必ず池さんが喜んで受け取ってくれると思い、即決で買い求めてきました。
お札の値段も手ごろでしたので、神社の名が記された紙袋にいれたまま、事務所の机の上に鎮座していたのですが、年末の仕事もひと段落した午後になって、郵便局に行って配達の手続ををしてきました。
先日に訪問できた時のスナップも数枚同封して、元気に快復される願いと新年を迎えるに当たって、すばらしい輝きの年にして欲しい旨を書き込んだ手紙も添えて、国際小包の発送を済ませることができました。
年明け早々には、韓国の池さんに配達されるでしょうが、どんなリアクションが返ってくるかが、今から結構楽しみになってきました。
人生の大先輩であり、現地のロータリンの指導者としての役割がある方ですが、84歳の高齢から来る病には、快復するまでの時間が掛かるようで、今までそばによって来てくれた方々も、徐々に遠ざかっていく様子が垣間見られるのです。
若い頃は、裕福な経済力をもって、独裁的な権力と我が儘を遺憾なく発揮させた方でしたから、それなりに取り巻きの人々が沢山居て、中には利得を享受された方がいたりして、敵対的な存在になってしまい、覇権の奪い合いをした様子を聞かされてもいました。
人は一時の栄華を味わってしまうと、なかなか普通の感覚をもって、人との接し方ができなくなることを、池さんが若い頃に少しばかり傍目で観ることができました。
お付き合いが長くなると共に、時々の栄枯盛衰の模様を体験でき、年齢が加齢するとともに足腰が弱まって、耳が遠く成りだしてから、池さんの態度にも弱さが感じられ、徐々に丸味が見え初めた記憶があります。
独善的な言い回しの蔭がすっかり消えて、電話でも手紙でも孝行爺の感じが強くなり、つい最近になってからは、逆に頼られている自分を知ることになって、今回のお見舞いやお守りの届けの心遣いができるようになってきました。
子供のようになって我が儘もあるのですが、できる事をできる時に精一杯尽くす思いもあって、積善の心境はますます強まっていくようです。
自身が納得する範囲の善行を心掛け、人とのご縁を大切にしながら、池さんの健康を見守ってあげる宿命を、淡々として粛々と果たしてみたいものです。