天気予報からすると随分雨上がりが遅くなって、薄暗い中にも西の空に薄日が差し込んできた午後に、晴れることを期待して夫婦して、墓参りにでかけることにしたのです。

毎月両親の祥月命日に合わせて、一度は墓掃除をして墓前に合掌をするのですが、小雨残る墓苑には、数組の墓参りの方々がいて、冷え込んだ空気に吐く息を白くさせて、清々しくも静かに行き交うことができました。

雨で濡れた墓石や墓誌を乾いたタオルで拭き取って、小さな草をとり、生花と線香を手向けたのですが、強風もあってか、なかなか線香に火が灯らなくて、あれこれ工夫をしながら、何とか着火することができ、線香の煙がたなびく安堵感を味わってきました。

掃除で汚れた濡れタオルを水洗いする際にも、気付かされることは、指先が痺れるほどに冷たくなってきた季節感と、墓苑に植わっている木々の深い紅葉が、あらためて静まり返っている墓苑の落ち着きを感じさせてくれました。

とっても寒く雨上がり前の静けさが、ピンとした気持ちを引き締めてくれて、こうした墓参りの行為から派生させてもらえる、心の拠所を自身の中で再認識できて、今居れる自身の系図を紐解く、切っ掛けを享受できるものと念じるのです。

墓掃除とお参りが済む頃には、すっかり雨も上がって、善行の結果が伴う自然の成り行きがとっても嬉しくて、心の拠所としての神仏が、心掛けひとつでも精神的な安心感に、左右することを再認識できたのです。

帰路には、日ごろに亘って大変な難儀を、親身になって支えてくれている、縁戚の墓苑に寄って線香を手向けて合掌することができ、こうして毎月の役割が無事に済ませることもでき、自身が担っている義務と責任との、出来得る最低限の役目にホットしているところです。

自分なりの頑張りをもって、この世の中に出来得る務めを果たしているのですが、どうしても全力で立ち向かっても果たせない事実に、時として天地天命の神仏に手を合わせる行為で、何かしらの安心感と勇気が得られる願いをするものです。

心をやすめて、和やかな判断ができるからこそ、人様に重い迷惑を掛けることなく、譲り合いの精神をもって、互いに和気藹々の境地が生まれるのではないだろうかと思っています。

まだまだ人生の未熟者を自認して、多くの方々にもそれなりのご心配やら、ご迷惑をお掛けしてしまっている現況を恥じて、出来得る心の侘びと整理が、せめてもの神仏への手合わせに頼ってしまうのです。

神仏へのお参りごとは、公然の場で堂々とできうる、心の中からの素直で正直で衒いのない、それこそ一番自然な自分の姿があって、きっと汚れの無い自分の姿がみてとれるのでしょう


無心で手を合わせる時の自身の姿が、人が見ても共鳴で共感を覚えることに、少しでも分かち合える時空になれば好いことを念じてしまうのです。