陰に陽にこの世の中の仕組みが構築されているのですが、全てに健全でありたい要望があっても、全てに負を背負った立場の方がいることを、何度も何度も認識させられる社会があります。
普段の日常ではあまり感じられない健康体ですが、傷害を持った方々に接する時に、心新たに自分や家族の健康がありがたいことを思いしらされます。
毎年恒例になっている行事ですが、所属しているロータリー・クラブの奉仕活動の一旦である、障害者施設の慰問である餅つきに行ってきました。
何人か顔なじみになっている方々と、笑顔の交流をしたのですが、言葉に不自由をする方との交流は、なかなか難しいものがあって、言葉にならない声を掛けられても、何を言っているのかが受け止められないもどかしさがあります。
ましてや成人された障害をもった方との友愛は、こちらが思っていることが、どれほど十分に伝達されているかも不安ですし、無視することはもっとも失礼なことであると認識をしています。
地域に住まわれていて、何度か犬の散歩時に遭遇できた障害を負った方との出会いがあって、気軽に声がけをしてくれることに、こちらも誠意をみせて、精一杯の応対をしたつもりでも、なかなか十分には以心伝心ができなくて、申し訳ない思いをした経験が何度かあるものです。
お陰さまで天候に恵まれた餅つき会は、障害をもった御家族の皆さんや、地域に住みリタイヤした高齢の方々のお手伝いを頂きながら、滞りなく終えることが出来ました。
広場の真ん中に臼を二基用意して、交代で杵をもって憑いたのですが、高齢なボランティアの方が、一生懸命昔摂った杵柄を発揮してくれて、技ありの妙技を代わる代わる披露をしてくれたこともあって、順調に作業が捗ることができたことが嬉しいものです。
職場の現役を定年された方々が沢山集ってくれて、社会奉仕活動の精神を学び取っている我がロータリアンよりも、夢中で奉仕活動をされている姿が、とびきり羨ましく感じとることができました。
同じ世代の方々ですが、青春時代の楽しみを新たに心得て、純粋のお手伝いを無心でされている姿が美しく、心掛けの差を恥じるだけの、良き人生勉強の時を味わうことができ、沢山の反省点を学ばせられました。
その場に参加させてもらう意味を、一番深く理解をし学ばなければいけない身のロータリアンが、心機一転させるべき場の提供をえて、次回こそは、積極的な奉仕活動に身を捧げる目的意識をしっかりさせたく自覚をした体験でした。
健康体であることと奉仕ができる立場でいれることを、障害者福祉施設の慰問を通して、心あらたに生きる大切さのなかで、改めて幸せの重みを噛み締めて、我が身の天恵に感謝をしたところです。
普段の日常ではあまり感じられない健康体ですが、傷害を持った方々に接する時に、心新たに自分や家族の健康がありがたいことを思いしらされます。
毎年恒例になっている行事ですが、所属しているロータリー・クラブの奉仕活動の一旦である、障害者施設の慰問である餅つきに行ってきました。
何人か顔なじみになっている方々と、笑顔の交流をしたのですが、言葉に不自由をする方との交流は、なかなか難しいものがあって、言葉にならない声を掛けられても、何を言っているのかが受け止められないもどかしさがあります。
ましてや成人された障害をもった方との友愛は、こちらが思っていることが、どれほど十分に伝達されているかも不安ですし、無視することはもっとも失礼なことであると認識をしています。
地域に住まわれていて、何度か犬の散歩時に遭遇できた障害を負った方との出会いがあって、気軽に声がけをしてくれることに、こちらも誠意をみせて、精一杯の応対をしたつもりでも、なかなか十分には以心伝心ができなくて、申し訳ない思いをした経験が何度かあるものです。
お陰さまで天候に恵まれた餅つき会は、障害をもった御家族の皆さんや、地域に住みリタイヤした高齢の方々のお手伝いを頂きながら、滞りなく終えることが出来ました。
広場の真ん中に臼を二基用意して、交代で杵をもって憑いたのですが、高齢なボランティアの方が、一生懸命昔摂った杵柄を発揮してくれて、技ありの妙技を代わる代わる披露をしてくれたこともあって、順調に作業が捗ることができたことが嬉しいものです。
職場の現役を定年された方々が沢山集ってくれて、社会奉仕活動の精神を学び取っている我がロータリアンよりも、夢中で奉仕活動をされている姿が、とびきり羨ましく感じとることができました。
同じ世代の方々ですが、青春時代の楽しみを新たに心得て、純粋のお手伝いを無心でされている姿が美しく、心掛けの差を恥じるだけの、良き人生勉強の時を味わうことができ、沢山の反省点を学ばせられました。
その場に参加させてもらう意味を、一番深く理解をし学ばなければいけない身のロータリアンが、心機一転させるべき場の提供をえて、次回こそは、積極的な奉仕活動に身を捧げる目的意識をしっかりさせたく自覚をした体験でした。
健康体であることと奉仕ができる立場でいれることを、障害者福祉施設の慰問を通して、心あらたに生きる大切さのなかで、改めて幸せの重みを噛み締めて、我が身の天恵に感謝をしたところです。