事務所で客人を迎えて顔を見合わせた途端に言われたことが、目をどうかされたんですか?の一言でして、何かおかしいでしょうか?と問い返すと、下瞼が大きく腫れてますと伝えられました。

一昨日違和感があって眼科に行ったら、ものもらいを診断されてしまい、点眼液を使用していたのですが、これほどに膨れていることが自覚なく、鏡に写った眼をみて初めて異常な腫れに気付かされてしまいました。

午後になって早速眼科に飛び込んでみれば、以外に膿むのが早かったですねと言われて、即切開をして膿みを取り出してくれました。

この作業を繰り返していくうちに、自然に治癒していきますからと言われて、1週間分の内服薬と軟膏とを処置してくれて、今ではだいぶ爽快になった眼をぱちくりさせているところです。

本当に久し振りで眼の病になって、眼科に通うことさえ10年以上前のことですから、先生も二代目に代替わりして、医院も駅前のマンションに移られていて、診察券もなにもかもが全てが真更な診察となりました。

待合室で本を読みながら聴くとはなしに順番を待っていますと、自然と患者さん同士が語り合う色々な情報が耳に入ってきて、ご近所の四方山話がされる空間は、公共の場であることを自覚しないと、恐ろしいほど様々な人間関係と触れ合うことになります。

家族や身内のこととか、ご近所同士のいざこざなどが露呈されて、不特定多数が集る場での会話からは、罪悪感も無く悪気も無く、人の持つ性から発揮される性癖とは、歯止めが効かないルーズさが伺えます。

身近にある仲間の交流にも同じことが言えるのですが、勝手に思う解釈と合いお手が思っている納得度とは別物であることが、往々にして垣間見れるのです。

あちらを立てればこちらが立たず、こちらが立てばあちらは立たずと言う諺がありますが、この世の中の人間関係とは、そもそも単純ではないように仕組まれている気がしてならないのです。

この社会に意見が違う方がいらっしゃることは当然の理ですが、身勝手な自己主張を述べるだけでは、決して大人としての責任はないし、そのような人を集団化するのであれば、ただの烏合の衆になってしまうと思うのです。

えてして素面の時と飲酒の時で人が違ってしまうことがあるのですが、お互いに意見交換をするのであれば、出来るだけ素面を通してもらい、お互いが関係する諸問題について。できるだけの誠意をもって真剣に語り合うことが必要です。

お酒が入るに従って語気が荒くなって、支離滅裂な言動となっては会合でもなく、話し合いでもなく、語り合いでもない、廻りに迷惑を掛けるだけの、破天荒な時空となってしまいがちなのです。

素面では穏やかな方がお酒の力で変貌してまい、人間性まで疑わせる駄弁や強弁を押し付けるようでは、悪癖がある人が情けなくなるばかりです。

駅や電車内や医院やコミニティーセンター等での、人の何気ない情報交換から発せられる猥雑さは、案外お酒で人がかわる幼稚さと同等な、人としての価値観なのかも知れません。