朝晩がめっきりと冷え込んできて、空気が澄み切った秋の日は何をやっても集中でき、ことの捗りが大きく遣り甲斐があることが嬉しいものです。

昨日に続いて徒長した庭木の選定作業を朝から機嫌よく出来、ほぼひと回り剪定ができて、残りは松の木だけになりましたので、内心ホットしているところです。

剪定の出来上がりはまあまあとして、徒長した枝が整理できた明るい庭には、秋の野鳥が舞い降りて、賑やかに木々の枝を渡り歩いていました。

子供のころには秋といえば、甲高い声で啼く百舌の鳥が定番として柿ノ木の枝に止まっていたものですが、自然環境が変ったためなのか、ここ数年はすっかりご無沙汰になって、目にすることができません。

この百舌の習性は面白く、トカゲなどの小動物を捕獲して枯れ木の枝に刺して置き、保存食として活用するため、彼方此方の枝には沢山の日干しの虫等が見受けられました。

この近辺の人里では既に活動する鳥でなくなったのか分かりませんが、愛犬との散歩範囲でも百舌の声は聴くことができなく、機会があれば是非とも懐かしい声を聴いてみたいものです。

時間がある時にでも、小一時間ほど離れたところにある自然公園に行き、子供のころに当たり前に接することができた野鳥達にあえる為に、バードウオッチィングに行ってみたいものです。

先月に行った茨城の恩師のお宅の帰りに通った我孫子市には、皇室と縁が深い山科鳥類研究所がありましたが、手賀沼の湖畔にある関係で、水鳥も含めて色々な鳥を観察することができる模様ですが、近代的な特徴ある建物が印象的でした。

これから冬にかけて野鳥が群舞して木々を渡り歩く姿が観られますが、素早い動きがその姿をはっきりと窺う事ができなく、まるでオフロードのラリーのごとく機敏に動き、一瞬の姿しか目にすることができない素早さは、渡り鳥特有の危機管理なのでしょう。

夕闇が日増しに早くなってきているのですが、日暮れとともに数羽の蝙蝠が乱舞するのも日常化していますが、黒い姿で暗闇を素早く飛び回る神秘さが、子供のころからの不思議な時空を魅せてくれます。

愛犬の散歩で行く貝塚公園には小川が流れているのですが、時たま白鷺が優雅に沼地を歩いていたり、野鴨の番が小川で餌を啄ばんでいる光景にぶつかる時があるのですが、山鳩とかのように人懐こくなく、常に警戒心が発揮されて機敏に動いています。

我家の狭い庭の出来事ですが、ここ数週間の間に二羽の小鳥の死骸が続いて落ちていて、内心愛犬が悪戯をして殺めたのかと思ったのですが、様子をみると傷が無く不思議に思っていました。

思い当たることは、居間の素通しの窓ガラスがあるのですが、このガラス窓に野鳥が衝突して事故死に遭ったのだと推測をしているのですが、真相が分からないままです。

硬直した死骸では野鳥の種類が判別できなく、スズメより小型の鳥の名は分からないのですが、この時期に遥遥飛んできた渡り鳥としたら、悲惨を同情してしまいます。

益鳥や害鳥様々な鳥が適度な棲み分けをして
、人間と共々共棲がされていたのですが、自然豊かな環境を保存することで、愛くるしい野鳥との豊かさを味わって、時々の季節を楽しむことができれば一層嬉しいものです。