秋晴れの爽やかな午後のこと、東京からの帰りのJR車内でのことですが、突然に中年の夫妻が口喧嘩をはじめてしまい、途轍もなく下品で大きな罵声の遣り取りは、下校中の高校生もいる中で、一番見苦しく気分の悪い光景に出くわすことになりました。

男と女の口喧嘩、それもお互いの肉親と家庭内のことであって、身内話を公然とした電車の中で、品無く遣り取りする気がまったく解りません。

不通の常識を持っているならば、激昂する前に途中下車してくれるとかの配慮が欲しく、何年間人として公の場で生活をしてきたのか、二人の人間性を疑ってしまうのですが、何処にも何時でも、こうした常識はずれの輩が世間にのさばっている場に出くわします。

それまでは、気分良く仲間と親しげに語り合っていた時空が、この一場面ですべてが吹き飛んでしまったのですが、身勝手極まる卑劣な夫婦がし起こした罪は、公然の電車内の大勢に迷惑をかけ、いやな思いにさせた責任を感じ取って欲しいものです。

今日はロータリークラブの仲間と一緒に東京でビジターとしてクラブ訪問をしてから、秋田から上京されている、ロータリアンと合流をして、暫しの時間ですが幅広い歓談の時間を共有させてもらうことができました。

いつも思うことなのですが、価値観を共に持てることができる豊かな交流は、心の持て成しとお互いを認め合い理解しあえる、相互に思い遣りの精神があってこそだと思います。

同じものの見方を出来る方との話は楽しく広がり、どこか違った意見があっても、お互いの話を聴きいれる豊かさが醸し出すことができて、建設的で刺激ある有効な学びとりができるのです。

相手方の発想と意思を噛み砕いて聞くことができますし、相手の方も聞き耳をもってじっくりと話をさせてくれることは、お互いの時間と友愛が至宝として享受できるのだと思います。

初めてお会いして一ヶ月ほどの三人なのですが、こうして時間を忘れて人生論を語り合うことができたのも、人とした常識の範囲を共有して、人を尊敬することが出来る悦びと幸福感をもって、全てが自身に源流を同じく還元できるからでしょう。

相手の方を十分に存じ上げなくも、同じ会員の仲間として受け入れることができ、さらなる意識を高めることが出来ているのも、同じロータリアン仲間としての認知があるからで、いつも交流の機会があるごとに感動を味わっています。

誰でもが何処でも仲間として、公平にお付き合いができる環境を持てるロータリアンは、世界中に自由に参加することができる特権があるのですから、お互いに進んで交流を広める行為の中で、自身を磨けあげてみたいものです。

友愛を広め重ねる素晴らしい環境が開示されているのですから、如何に有益に活用させるかは、自分自身が積極的に参加するかによってきまります。

いつも清い心を持つ中で、豊かで平等ある世の中の一員としての役割を、強く自己認識していければ、更なる悦びが得れることを信じています。