休日の比較的閑散とした幹線道路をナビの案内に任せて走っていたのですが、随分前に来た経験から見覚えのあるY字路を観て、急遽途中から右折したまでは良いのですが、ナビの案内が何時までたっても、元の幹線道路に復帰させようと案内を続けてくれました。

それからと言うものは、車内での喧騒は時間と共に酷くなって、道を間違えたとかナビの言うとおりに運転するとか、老夫婦の口論が一段と喧しくなるばかりでした。

一週間も前から決めた恩人にご挨拶をするために、今日は朝から夫婦で出かける準備をして、予定通りに家を出発をするまでは良かったのですが、4年振りに訪問する先は隣県の茨城とあって、気の緩みもあったようです。

行き先の方向は分かっていますし、幹線道路も馴染みがありますので、ナビも当てにしないまま進行できたのですが、茨城県に入ってから道不案内な為にナビをセットした結果が、地元に居るままで、夫婦喧嘩をするほど脇道に迷ってしまったのです。

結果としては、近道として右折したY字路は遥かに近すぎた道で、帰路に判明したことは、時間にして20分も手前で早く曲がりすぎた間違いでありました。

早く曲がりすぎたが為に、行けども行けども思っている方角には進行しなくて、1時の角度で曲がった心算が、4時の方向に進行したわけで、いくら進行しても幹線道路と交差しない分けでした。

興奮して怒っている上さんを宥めようと、気が昂ぶるのを抑えて、初秋の景色を感嘆したりして、上さんを宥めながらの珍道中を最後まですることになりました。

茨城の恩人宅には、予定時間より遥かに遅れて漸く到着することができましたが、ご夫婦して温かな出迎えの歓迎を受けることができ、4年ぶりの嬉しい再会と交流は、先ずは現況報告と合わせて、厳しい人生の対処を相談することになりました。

電話を通して、ある程度の現況を伝えていましたから、単刀直入に具体的な相談をすることができ、奥様も含めて親身になってのアドバイスが受けられました。

家庭内の厳しい話題は避けたいものですが、どこでもある同じような境遇をサラリと話題にしてくれて、さすがに人生の達人夫婦として、親父の代から長年交流を継続させてきた恩恵があったのかと、心の中で恵まれた境遇をありがたく感じていました。

人生の迷路は今日のナビを頼っての運転と同じことで、順路を間違ってみたり、遠回りをしてみたり、時として判断が上手く結果に結びつかないのですが、こうした不遇もこれも人生のひとコマなのです。

現実を素直に受け入れて認識してこそ、愚直になっての歩みをしていきたいものですが、歩みごととは、躓きがあってこそ拓けてくれるものかもしれません。

道にさ迷いながら戸惑う姿は寂しく悲しいものですが、時々の境遇も順風よりも逆風の機会が多いように感じていますし、逆境や戸惑いこそが日常茶飯事の通例であることを確信させたいものです。

誤って当たり前、躓いて当たり前、後戻りをしても当たり前として、益々多様化されている現実に、温かな叱咤激励を感謝をしながら味わっています。