最近の電車は親切にも車両の連結付近の座席が、優先席のシールを貼っていて、障害者とか妊婦とか老人には優先して座って貰える場が作られています。
日中の電車内ですとさほど混んではいなく、優先席も特に意識をしなく済むのですが、混雑する通勤帯の時間には、優先席が有効に活用していることでしょうし、その仕組みの恩恵を受ける方が大勢いることを信じたいものです。
一ヶ月ほど前の夏休み中はさほど混雑も無く、余裕をもった車内風景がありましたし、時節柄子供同士とか、家族連れの方々が目に付いて、優先席には受動的に子供さんが座っていたようにも身受けられました。
ここのところ電車を多く利用する身として、車内風景を垣間見る機会が多くなって、車内のマナーについて感じ入ることが多くありますし、自身が反省をしなければいけないことが多々ありますが、がいして電車内のマナーが向上しているように感じます。
特に高校生を中心にする学生が、比較的素直にマナー良く接することは、気持ちが好いものですし、学生が殆ど立っていてくれる姿が清々しく、その健康的な態度には賞賛の拍手を贈りたいくらいです。
成田空港からの直通線と言うこともあって、大きなスーツケースを抱えた外国からの方も多く見受けられますが、概して静かに座って語り合っているようで、大きなバックを身の回りに寄せて、気遣っている姿は社会的なマナーの基本が出来ていることを伺い知ることができます。
しかし不特定多数のお客さんが乗車するのですから、中には酷く無礼で非常識な方もいて、持っている荷物を一席余計に占めて知らんふりで、周りの空気を読めない勝手な輩も結構見受けることがあります。
更には朝晩のラッシュ時の様相は経験がありませんから、すべての状況を知る由もありませんが、我侭で理不尽な態度が消えた原因は何かあるのか、これはいつも利用しているJR線の特徴なのでしょうか。
遥か昔の電車内風景とは、どこが違うのか具体的に言い表せることが出来ませんが、血の気が少なくなってきているように思うのですが、これは勘違いでしょうか。
年齢に関係なく老若男女がお行儀良すぎるように思う昨今なのは、場の状況を読みきって判断できることでなく、時流が車内で立っていることに、ただ同調している結果がお行儀良く見えるだけかもしれません。
新聞やテレビで報道されている、みだらで破廉恥な行為である、化粧とか食事とかの風景を観る機会が無いがために、こうした判断をしているのですが、そうした破廉恥行為は一過性の流行り物であったかも知れません。
不易流行は何時の時代でも、それぞれの時代背景とあわせて価値が変容するものですし、人の心が柔軟に対応できる巾があれば、自然の流れの中で良悪の判断をしながら、悪行が駆逐され善行が優先されていく、流行の新陳代謝が行なわれるのでしょう。
電車の中で世の移り変わりを垣間見る経験は、自身の人生を振り返ってみることになって、先ずは人の振り観て我が身を正す心構えに役立ててみたいものです。
日中の電車内ですとさほど混んではいなく、優先席も特に意識をしなく済むのですが、混雑する通勤帯の時間には、優先席が有効に活用していることでしょうし、その仕組みの恩恵を受ける方が大勢いることを信じたいものです。
一ヶ月ほど前の夏休み中はさほど混雑も無く、余裕をもった車内風景がありましたし、時節柄子供同士とか、家族連れの方々が目に付いて、優先席には受動的に子供さんが座っていたようにも身受けられました。
ここのところ電車を多く利用する身として、車内風景を垣間見る機会が多くなって、車内のマナーについて感じ入ることが多くありますし、自身が反省をしなければいけないことが多々ありますが、がいして電車内のマナーが向上しているように感じます。
特に高校生を中心にする学生が、比較的素直にマナー良く接することは、気持ちが好いものですし、学生が殆ど立っていてくれる姿が清々しく、その健康的な態度には賞賛の拍手を贈りたいくらいです。
成田空港からの直通線と言うこともあって、大きなスーツケースを抱えた外国からの方も多く見受けられますが、概して静かに座って語り合っているようで、大きなバックを身の回りに寄せて、気遣っている姿は社会的なマナーの基本が出来ていることを伺い知ることができます。
しかし不特定多数のお客さんが乗車するのですから、中には酷く無礼で非常識な方もいて、持っている荷物を一席余計に占めて知らんふりで、周りの空気を読めない勝手な輩も結構見受けることがあります。
更には朝晩のラッシュ時の様相は経験がありませんから、すべての状況を知る由もありませんが、我侭で理不尽な態度が消えた原因は何かあるのか、これはいつも利用しているJR線の特徴なのでしょうか。
遥か昔の電車内風景とは、どこが違うのか具体的に言い表せることが出来ませんが、血の気が少なくなってきているように思うのですが、これは勘違いでしょうか。
年齢に関係なく老若男女がお行儀良すぎるように思う昨今なのは、場の状況を読みきって判断できることでなく、時流が車内で立っていることに、ただ同調している結果がお行儀良く見えるだけかもしれません。
新聞やテレビで報道されている、みだらで破廉恥な行為である、化粧とか食事とかの風景を観る機会が無いがために、こうした判断をしているのですが、そうした破廉恥行為は一過性の流行り物であったかも知れません。
不易流行は何時の時代でも、それぞれの時代背景とあわせて価値が変容するものですし、人の心が柔軟に対応できる巾があれば、自然の流れの中で良悪の判断をしながら、悪行が駆逐され善行が優先されていく、流行の新陳代謝が行なわれるのでしょう。
電車の中で世の移り変わりを垣間見る経験は、自身の人生を振り返ってみることになって、先ずは人の振り観て我が身を正す心構えに役立ててみたいものです。